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4月9日

起床10時。目が覚めたが、布団から体を起こす気力が湧かない。グニョグニョにしたものが脳内に溜まっている様な感覚。
布団を被り目を閉じる。目を閉じしばらくすると姉が声をかけてきた。その言葉を塞ぐように布団に包まる。
鈴木志郎康「日没の印象」を布団の中で見た。じっと見た。内容が一切入ってこなかったが、なぜか懐かしさを感じた。
布団が重い。重く感じる。僕はこの中から出ることは出来ない。

姉が出かけた。時計を見ると14時を回っていた。今日は夜勤なので体を動かさなければならない。バイトを休んでしまおうかと一瞬考える。

枕元に置いておいた「10年目の手記」を何気なく読み始める。しばらくすると体がむくりと起き上がり、文章を音読し始めた。ちょうど、音読に関して記述している文章だった。僕は布団から抜け出し、最後まで読み切った。

15時、布団を畳む。もう夜勤の時間なので、軽く食事を済ませ家を出た。

バイトに着くも体調は良くはない。他のスタッフの何人かに心配される。自分では普通を装っているつもりだったが、外から見ると、変化を感じるようだ。
バイト中ずっとイライラして死にたい感情が身体中を巡っていた。
現在22時、今はだいぶ落ち着いたと思う。なぜ落ち着いたのか、それはこの文章を打ち込んでいるからなのではないだろうか。感情が一定の位置に戻っている気がする。波を立てず、ふらふらと漂っている。このままがいい。このままの感情で生きていきたい。

坂口恭平/西港
休憩時間にこの曲を聞いてぼーっとしていた。おばあちゃん(利用者さん)が休憩室に来た。手を繋いで居室に連れて帰る。その時なぜか涙か溢れた。幸せだと感じてれている。僕は今この瞬間を心地よいと感じている。さっきまで、イライラして他の利用者さん達にムカついていた自分に罪悪感を覚えていたが、しっかり自分は目の前に向き合えている。楽しく向き合えているじゃないか。大丈夫さ。

涙が止まらない。僕たちは一体何なのだろうか。鬱病と呼ばれる人たちを一括りにする気はないが、自分へのハードルが高い人が鬱病になる気がする。ハードルというか、規範を気にしている人たち。自分の不完全さを肯定できず、社会の枠、僕の場合は恐らく、「良い人」という枠に当てはまろうとするあまり、自分の「悪い人」要素の強さに心がやられる。悪い人ではいたくない、良い人になりたいというのがずっとある。
祖母を手を握る時、利用者さんと接する時、僕は僕を感じる。
それは、「僕を受け入れてくれる」こととは違うものだ。
僕でいることを僕自身が分かる。さまざまな僕がいて、全部が僕なんだと感じる。「良いじぶん」「悪いじぶん」
物語が始まる。自分の物語が突然始まる感覚もある。しかもそれは、自分が作っているよりか、相手がいることにより作り出されている感覚の方が強い。これで進んでいける気がする。
人間は物語る生き物だ、と物語論かどこかで読んだ気がする。答えを求める。指針的なものがないと脳が落ち着かないのかな。物語ることといえば、「10年目の手記」の中にも書いてあった気がする。
自分の頭の中で勝手に物語るより、僕は誰かと接し自分を見つける。そしてそこから、物語が生まれ、僕は生かされる。
意味わからんけど、とりあえず今はこの言い方しかできない。
今日はもう寝よう。熟睡できそうだ。

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