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4月27日

夜勤明け。昨夜は11時に寝た。最近の夜勤では珍しくしっかりと睡眠。やっぱり寝ないとだめだ。
早朝、全介助の利用者さんの排泄介助に入る。食事以外の時間はベットで寝て過ごしている。
僕がバイトを始めて、一番最初にオムツ交換をした人。その時から優しく接してくれる。
「これからだもんね」
その言葉に緊張しまくりだった私は救われた。
普段薄いレースのカーテンは開けずにいるのだが、今日は開けてほしいという事でカーテンを開けた。
「空が見れてうれしい。」
利用者さんは笑顔でそういった。ふと見上げれば見れるものが、カーテンを開けてもらわない限り、見ることが出来ない。
「視覚障害者」ならば、見えない事に対し理解が及ぶとは思うが、身体以外に別の障害(障壁)があり、それが当たり前の事を、当たり前でなくすのだと改めて気づかされた。僕らも、もしかすると、何かの障壁で、当たり前が出来ていないのかも。その障壁を僕は知りたい。
バイトを終え、帰宅。シャワーを浴び、昼ごはんはカルボナーラを作った。
姉は寝ている。これまでなるべく関心を持たないように意識していたが、つい話かけてしまう。姉が起きる。パンを焼いて、冷蔵庫からマーガリンをだし、にんにくを擦り、合わせて混ぜる。それは全然いいのだが、あまりの作業の雑さに、一旦深呼吸したほうがいいよと言ってしまう。その後も、雑な食事は止まらない。ひたすら動き、食べ物を漁る。そこで、落ち着ついた方がいいのでは?と声をかけると
「うるさい!もう私に干渉しないで!」と大声で返してくる。
どうやら、何を言っても命令されている様に聞こえるみたいだ。それが、提案だと説明しても、
「母から何か言われてるんでしょ」
と疑う。


干渉しないでと姉は言うが、向こうは干渉してくる。以前私に、もう話さない。さようならと言ったにも関わらず、翌日、体調良くないの?と気遣いを示す。自分が原因だという自覚がない。というよりも、自分に原因を引き受けて考える事が余りにも出来ない。その事を伝えようとすと、むかつく中学生のような態度を取り、聞くことを拒否する。そのため、極力関わるのをやめて、自分の事を充実させその姿を見てもらおうとしているのだが、”家族”である以上干渉せざる負えない。そして感情的になる。

その後何か言おうとしたが、無力感から、諦めて大学へ向かった。

授業遅刻。講義を受けるも、眠気が襲う。まともに聞けなかった。
その後すぐに整体へ。最近は二週に一回のペースに減らした。右肩の調子もだいぶ良い。担当の理学療法士の人ともだいぶ仲良くなった。4,50代だけれど色々気が合う。もちろん話合わせてくれてるだけかもしれないけれど。
千種から名駅まで歩いた話、東山あたりを散策した話をすると、その地域の地盤の事、東海豪雨の時の事を教えてくれた。名駅周辺はかなり浸水して、地下駐車場は全滅。亀島辺りは地盤が低いから、膝あたりまで浸かった、など。名古屋の土地柄の事を聞くのは面白い。もっと知りたいなー。

整体を終え、映画を見る時間もあったが時間は21時を回っていたので帰宅を選択。僕にとって今大事なことは何より、早寝早起き。これを守る事が今の軸。調子はいい。進めてる。

多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』
異なる「知覚」をもち、芸術の形式も別のものになる。
それを通じて社会変動を認識しようとベンヤミンは提案している。
あるいはそのように「歴史」を考えるべきだ、と。

昭和という時代が、「高度経済成長」を背景に個人もまた「成長」の物語を信じることができた時代だった。しかし、21世紀初頭の日本人が手渡された現実は、産業発展による環境破壊の改善、長期化するデフレ経済の陰で生まれた非正規労働者をどうするか、などの「成長」の物語を挫くような諸々の矛盾によって、「社会がよりよくなっていく」という楽観失われた。
今はその「楽観が失われた」物語の中にいる。だから、自殺者が多いのだ。

理想が高いのではなく、描く理想自体が、これまでの紋切り型の理想なだけなのだ。理想そのものを考える必要に今、迫られている。こうなりたいという理想。それは一昔前に描きだされただけのもので、我々は自分達の手で理想を作りだす必要がある。それを「芸術」と呼ぶ。
ベンヤミンを読むとそんな事を言われているきがする。完全に誤読だとおもうけど。

今僕たちが、何かを知覚するとき、その瞬間が、歴史なのだ。


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