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2月25日

午前中はずっと寝ていた。気がする。気がするのだ。記憶がない。午前の記憶がございません。その一方で午後の記憶がありまくりだ。姉とのLINE。

しんどい。しんどいけど、試していくしかない。自分に出来ることを、アプローチの仕方を変える。今回の反省点は、「姉が人の話を理解できないのは国語の問題である」という前提を基に、しっかり丁寧に説明していけば伝わるはずだと、長文を送っていたことだ。解決を焦っていたのかもしれない。結果姉は、責められていると解釈してしまった。問題は、国語力ではなく、気持ちの部分だった。気持ちをいかにほぐしていくかが、この場面では一番重要だった。それはこれまでも理解していたはずなのに。実践しきれなかった。説明と共に、気持ちをほぐすことを両立していると考えていたからだ。もっと、軽やかに。その為には、まず自分の精神状態が何よりも重要であることが分かった。家族故に、気持ちがのっかり、焦りからか長文で説明的になる。まるで親から説教を受けているかのような感覚に陥らせてしまう。だからこそ、しんどい。という状況から常に離脱。ウキウキワクワク大作戦を実行していく。しかし、バカにしてるの?と捉えられぬように、全力で大真面目な顔をする。真顔でいく。バカにされることもあるだろう。そんなことどうでもいい。軽々のりこえていく。作戦内容は、「日記感覚で、その日撮った写真を送る」というものだ。何か相談が来た場合は、いったん全部吐き出させ、写真を送る。こちらからは、もう言葉はあまり発さない。ただ、地蔵のように、そこにいる。そんな状態でいこうと思う。

早速今日ためしに、写真を送ることにした。

以前尻にデキモノが出来た際、確認のため自分で撮った写真を送りつけた。欠毛もばっちり映っているものである。

それに対しての姉からの返信は

「変なの送ってこんで」

「わざわざおしりのニキビを送ってきた理由はなに?」

こちらもやけくそである。理由なんてない。もう笑ってくれという感情のみ。

その後しっかりと、その日撮った写真を送った。

はよ元気にならんかなと、僕はただそう思っているだけです。

夕方、借りていた本を返しにいく次いでに、ラウンジカドで夕食。

今日は生姜焼き定食にした。美味しい。その後、三人で談笑。バイトの藤田君の活動に感化される。ぼくも活動していく。やる。この気持ちを絶やさぬように、継続していく。

宿に戻り、鏡をみた。そこに移っている自分。鏡に映る自分を見るたび、自分は何も変わっていないのではないか、と思う。そこにいるのは、いつもの自分だった。小学生のころから変わらぬ感覚。僕を見る、僕がいる。気を抜くとそこに引き戻されそうになる。何も変わらぬ自分に。僕はやる。やる自分になる。だから、鏡をみる僕へ。お前もついてきてくれ。見守ってくれ。

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