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「熊日de充実すごもりライフ」と、醜い肥後っ子の私

「熊日de充実すごもりライフ」(※画像はハフポより)という、熊本日日新聞および関連会社による、現代日本人を刺激する広告が、ちょっとだけネットで話題になりました。

<関連リンク>
「性差を色分けし、不適切な表現」熊日新聞がチラシ謝罪(朝日新聞デジタル)
すごもりGWで「女性は手の込んだ料理」チラシに批判殺到⇒熊本地元紙がすぐにお詫び(ハフポスト)
熊本日日新聞社、熊日グループからのお詫び(熊本日日新聞)

こういうところなんですよ、熊本がいやだなーって思うのは。

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郷土を愛する気持ちはこれっぽっちもない一人の元熊本県民として、怒りでも落胆でも非難でもなく、思ったことを少しだけ、手短に書きます。

そもそも僕は以前から熊本日日新聞(以下、熊日)を敵だと思っています。リベラルぶろうとしているように見せかけてゴリゴリの守旧派(いや、こっちが勝手に地方紙はだいたいリベラル寄りなもんだと一時期思い込んでいただけで、先方は終始一貫変わらない男根崇拝者なだけだと思いますけど)で、今回に限らず以前から周辺メディア含めて目に余る状況なのは存じ上げておりますので、今更これくらいのことやったって驚きません。
(ちょっとウソ言いました。驚きます。稀に実家に帰って熊日と関連会社の紙媒体を見ていると、時空のズレとしか言いようのない現象にちょいちょい驚かされます)

そういった前提は既にあるものとして、しかしここから先は、この機に乗じて熊日を叩いちゃおうとか、そういう単純な話ではありません。むしろ長い目で見れば擁護とすら言っていいいかもしれない。

さて。
この「熊日de充実すごもりライフ」の話題をSNSやネットニュースで知ったヨソの地域の人たちは、「男尊女卑の犬たる片田舎のオッサンがやっちまったんだべ」とか「なんで制作の段階で女性の目を通さなかったの?」などとお思いになったかもしれませんね。でも、醜い肥後っ子の私(念のため補足:「美しい日本の私」をイメージして書いたので、一人称のブレはお許しください)の想像では、これって、「田舎のオッサン」が独断と偏見(安易な言い回しだけど、これって文字通りの偏見だよね!)で作ったわけではなく、ひょっとしたら、女性も制作に深くかかわっているのかもしれない。というか、むしろ女性が率先してこういう設定にしたんじゃないか、とすら思っています。それも完全なる善意(本人たちの主観では)から。

あくまでも僕個人の仮説・妄想である、と繰り返しつつ申し上げますが、彼の地は「男尊女卑の犬たるオッサン」的な価値観を、女性の側も深く深く内面化(それは独特のミソジニーにまで到達するほどに)して生きている未開の地です[※]。
※本当はこれが一番の問題だとさえ思える「熊本独特のミソジニー」については今日はこれ以上詳しくは触れません。とはいえ、もう20年ほど距離を置いている地域のことなので、もしかしたら今はまったくそんなことない、超々々リベラルな文化的先進県に変わったかもしれませんね(すみません、お察しの通り思ってもいないことを書きました)。

もう少し、偏見に偏見を重ねます。
「映画鑑賞」「ゆっくり読書」を志向している青色の男たちは、「熊本の中では、わりとリベラルな方」の男たちのイメージと思っていただいてよいでしょう(読書や映画をする人間は、たとえそれが文字の大きなTwitter本やアベンジャーズどまりでも、それだけで彼の地では知識人・文化人扱いです)。

もちろんそれは全国偏差値30の底辺校におけるトップクラスの生徒、くらいの位置なのですが、その井戸の底[※]に身を置いていれば絶望的な断崖に気付くことなく、むしろ毎日パチンコに通い詰めるしかない近所のオヤジを見下しながら「俺たちはまとも」と思えてしまいますよね。
※別件ですけど、最近「井の中の蛙〜」に「されど空の青さを知る」って付け加えるバカがいるじゃないですか。なんなんですかね、あれ。偶然ですけど今回「青」で描かれたやつら、まさに井戸の底から青い空を見て偏狭な視野で空いばりするだけのどん底ガエルですよ。

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失礼、話が逸れました(ずっと逸れてるか)。
まだ偏見と妄想を続けますけど、そういう底辺エリア内優等生風メンズの気持ちを斟酌すれば、今回の青で描かれた性の人たちに制作者が重ねた意識(あるいは無意識)は「主体的に『手の込んだ料理』『断捨離大掃除』をしたがる妻や母の自由意志(というクソ男の立場からの設定)を邪魔しないように、ボクたちは『映画鑑賞』『ゆっくり読書』にはげみま~す。ホント、ボクらって賢いし優しいよネ!今日の夕飯は何かな?ハンバーグ大好き」くらいの、もう心の底からの善意(のつもり)でしかない、と言ってもそんなに間違っていないでしょう。気持ち悪い!
そして残念ながら赤で描かれた側の性の人たちも、同様の価値観を肯定し、なんだったら率先してそういう枠組みを生み出し、さらにその構造におさまらない同性(どちらかといえばより現代的な意味でのリベラルさと知性を持ちあわせた女性)を攻撃すらしかねない(というか、実際に結構攻撃してますよね、あの人たち)アマゾネスであるわけです。
★追記:読み直してみるとちょっとここ書き方が悪いですね。あたかも熊本の女性が足を引っ張りあう人であると言っているように見えるかもしれませんが、そんなことはありません。同性同士で嫉妬し足を引っ張ることにかけて、熊本の男たち以上にねちねちした気持ちの悪い生き物を、僕は見たことがありません。しかしそれはまた別の話。

それゆえに今回の「熊日de充実すごもりライフ」について、まずは女性・若手メンバーを含めた関係者全員が内容を看過した問題があり、それ以上に、根源的な問題として、主体的な制作者に女性がいたかもしれないとさえ申し上げております。オッサンが勝手にやったんだったら、まだいい(わりとリアルな経験に基づく偏見から言うと、熊本のオッサンは自分で連休前に急いで「すごもり」向けのチラシを作るなんて作業はしません)。若者や女性が、ピュアな善意から、これほどまでに無邪気に人類の歴史に泥を塗るような言説をしてしまいかねない。それが熊日的世界観の絶望なのです。

しかし、ことここに至っても、熊日側、あるいは熊本県民側は「なんかしらんばってん東京の人達がインターネッツで騒いどらすてバイ、せからしか~」くらいの意識しかないのではないでしょうか。または、今後ずっと何も気づかないまま幸せに余生を終わるか。

ここであらためて熊日新聞公式の「お詫び」(https://kumanichi.com/information_20200430/)を読んでみると、

男女の役割を固定化させる意図はありませんでしたが、熊日都市圏販売の社内でも理解や意識が十分でなくチェックできませんでした。

……と空疎な弁解が書かれていますね。

なるほどなるほど、そりゃ彼らに固定化させる意図はないですよね。なるほどですねー。だってよかれと思ってやっているんだもん。何かを意図したり狙ったりしたわけじゃない。深く深く深く内面化した感性に基づくピュアな善意の発露がこれです。だから、手に負えない。
(そう、最初に申し上げた通り、今回の趣旨は非難ではないし、擁護とすら捉えられかねないものなのです)

もちろん僕がよく知らないだけで、ヨソの都道府県だって、あるいはどこかの自称・美しい国の政府だってそういうことはあると思います。そういえば先日大阪でも買い物がどうしたとか、何か妙なこと言ってましたよね。申し訳ないけど、(ここまで書いておきながら)九州や熊本"だけ"を男尊女卑の煉獄とみなす意見には与することができません。ただ、彼の地では先に引用した「お詫び」文のように、自分たちの中にある固定化意識を認めない(自覚しない)から、いつまでたってもその意識・欲望を統制することができない。固定化させる意図もなにも、とっくにガチガチです。

たとえば過去に酷い差別(人種、民族、階層、もちろん性別も)を行った歴史があり、それを自覚した文化圏であれば、その差別に正当な規制や法的手段をもって対峙・是正することができる。一方、「これは区別だもん」「○○(今回この部分は女性ですけど、他の言葉でも使いますよね)はそれを好きでやってる/向いてるからやってるんだもん」「固定化させる意図なんてないんだもん」「もうそんな差別ないじゃん(あるのに)」などと、いわばまさにどこかの自称美しい国が2枚ずつ配る(ことになっている)布マスクみたいな何の役にもたたないどころか弊害しかない妄言ばかりを繰り返しやりすごしているクソ田舎のサル山では、いつまでたっても、何も変わらないですよね。

くどいようですが、たまたま彼の地では、今回のような事例がより濃密であり、かつ隠そうとするそぶりすらないために常日頃から可視化しやすくなっているという程度の話で、閣僚も会社役員も女性活躍ナントカ会議も基本オッサンばっかり(そしてだいたいポンコツ)という世界観を生きている「都会のカッペ」が「田舎のカッペ」を非難したって、そりゃナンセンスです。熊本県民だって空疎な言い訳でお茶を濁して連休明けにはまた元気になってますよ。

失礼、熊本県の話に戻ります。この話題、雑にネットの声を拾って繋いで記事にしたネットメディアによると

迅速な対応と評価の声がある
「経緯を明記してあって感心した」「お詫びの文章は率直で好感が持てる」といった肯定的な意見があった

……などと申し訳程度に書かれていましたが(ハフポスト:すごもりGWで「女性は手の込んだ料理」チラシに批判殺到⇒熊本地元紙がすぐにお詫び)、あのー、こんなの、評価できる対応ではないし、「感心した」とか「好感持った」とか言っている人とは、他のことでもわかりあえる気がしません(先方もわかりあってくれないでしょうけど)。

で、さらにここまで書いておいて今更なんですけど。というかここからが本題なんですけど。べつに僕は、この期に及んで彼の地の人たちや熊本日日新聞をこき下ろしたいわけではありません(こき下ろすのは常日頃からやっていますが、それはまた別の話)。何度も申し上げるように、今日ここで熊日を糾弾しようというつもりでこれを書いているわけではないし、今回彼らが批判に晒されてどうにかなるとも思っていません。

ただ、生まれてから随分長い時間をあの辺境の地で暮らし、価値観の大半をそこで築き上げたことを認めざるを得ない身としては、残念ながら、あの肥後モッコス的煉獄の恥ずかしい価値観を自分自身も無意識のうちに深く内面化しているのだろうな、と考えざるを得ないわけです。自らの中にある、アマゾン河の対岸の森から出てきてじっとこちらを見ている交流不可能な民族のような精神、未開の島国の遺伝子とか文化的遺伝子とかそういったものを、こういった「事件」があるたびに、日々痛みとして刻んで生きていかざるをえない。そういう意味ではとてもありがたい気づきを折りに触れて与え続けてくれる、今後も何一つ変わらないであろう熊日に感謝です(またウソを書きました)。
いずれにしても僕こそが未開の民なのです。生まれてすみません。

■■■■
【追伸】
あ、あともうひとつすみません、余談ですけど、今回の件を「時代錯誤」って言う人がいるじゃないですか。それって、どの時代を念頭に置いているんですかね。女性が手の込んだ料理をしたり、家のことに専念する(主婦という概念ができあがった)時代って、実は日本の歴史においてはごくごく最近ですよね。人類の歴史で言えば比較的モダンな概念(……ただしそれはごく短期間、一過性のものだったようですが)とさえ言える。そんな直近のブームでしかないものを引きずっている(あるいは後生大事にしがみついている)熊本日日新聞および熊本県民の感性は、時代錯誤というほどに大袈裟ではなく、ただの、うーん、やっぱりただのカッペな腐れ脳味噌なんですよね(繰り返しますけど、これはどこかの自称美しい国全体のことも言っています)。

【追追伸】
ところで最後にあともうひとつだけ別件ですけど、「で」を「de」って表記するの、めっっっっっっっちゃくちゃダサくないですか。

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20年以上前の表記じゃないですかこれ。いやもうベースのデザインだってひどいもんだけど2020年にもなって「de」はないだろ、「de」は。何か深い事情があって(県の条例で「de」って入れないと懲役くらうとか、画像の「de」のロゴに100億円つぎこんだからもったいないとか)こうしているのかもしれませんが……いや、そんなわけないですよね。これがあの県の最新のセンスです。随分長いな、この「最新」のスパン。20年、30年、何も変わらない。何もかも懐かしい。そういえば稀に帰省しても取り残された感が何一つない。変わらないって、素敵‥……じゃない! やっぱダメじゃないですか。表現が変えられないから、ジェンダー的なものだって表面上取り繕うことすらできないんじゃないの。もちろんこういった古さだって、あの辺境に限った話ではないんですが……。

ま、その、僕自身そんなde的センスの薫陶を受け続けて育ってきたことにも、こうして折りに触れて気づかされてしまうわけです。やっぱり熊日ありがたいなー。

【追追追伸】
あ、最後にもうひとつだけ(これで最後にします)。
ここまで書きながら思ったんですが、熊日新聞の「お詫び」(https://kumanichi.com/information_20200430/)って、タイトルこそ「お詫び」でしたけど、誰に対してお詫びしたんでしょうね。とりあえず炎上しそうだから急いで火消ししただけで(そういうとこだけ上手!)、誰に対してもお詫びなんてしていませんよね。

もし本当に誰かにお詫びし、責任の所在を明確にし、今後の行いを改めることを示すのであれば、それは全人類が戦ってきた差別や人権の歴史と未来に対してであって、熊本県民でもツイッターの東京モンでも、もちろん熊日のお偉いさんでもない(でも、たぶん彼らがお詫びしているのはお偉いさんに対してだけだろうね)。

しかし残念ながら熊日側はそんなことは考えてもいないのは明々白々なわけです。あまりにも無意味。あまりにも空疎。
「なんか急いで下請の印刷屋に流れ作業で作らせたら(作製したら)、インターネッツで知らん人が怒らしたてばい。見れんけん知らんけど。上司には謝ったばってん。かしこか女はすかんねー。よかよか、火の国だけん炎上くらいするばいたー」くらいの軽さ。ま、きっと近いうちにまた似たようなことやるよね。

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↑同「お詫び」記事をキャプチャ。
※「作製」の言葉選びが気になったので、そこだけ選択しています。

※5/28追記:
なんと、気づいたらまだ1カ月も経っていないのに、自称「お詫び」のページが削除されていましたよ。びっくり。さすが熊本日日新聞。キャプチャ保存しておいてよかった。

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