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進むべき方向

ホテルの廊下に出された体験は、本当に感じました。

まして、外から、この時は隣のビルから丸見えといったことになりますが、その状況は、私の中で眠っていたなにかを呼び起こし、私は、マゾ一直線といった道を歩むことになりました。

そんな私ですが、野外といった方向にはむかいませんでした。

当時から、当局は男性の裸には厳しいといったことは、よく聞いていました。

やはり、野外露出、通報、逮捕といった連鎖は避けたいと思っていました。当たり前ですが、日常が無くなりますから。

ラブホの廊下は、大変興奮しましたし、後に通っていたSMクラブのママさんに、全裸に亀甲縛りで、コートを羽織った姿で、新宿に雑居ビルの地下の女子トイレに連れていかれ、コートを剥ぎ取られ責められたことがありました。この時も、凄く興奮しましし、多分野外露出は、やれば凄く好きなんだと思いますが、やはり、小心者なんで、そちらには進みませんでした。

後に一度だけ、やはりに新宿の某公園で、白昼堂々野外プレイをしたことがありました。

上の画が、その際のものです。短い時間でしたが、全裸にもなりました。でも、興奮する以前に逮捕されたらといった恐怖心が勝り、早く終れといのるばかりで、ちっとも楽しめませんでした。

私達男性の場合、変態と言うより変質者して扱われてしまうのが、現実のようです。

といった訳で、野外露出には、進みませんでしたが、やはり、女性に自分の恥ずかしい姿を見て頂くことが私の歓びになりました。

出来れば、沢山の女性に見られたい、晒し者になりたいといった願望を強く持つようになりました。

しかし、そろは、なかなか高いハードルで、沢山の女性の前で晒し者になるという願望は、未だに未経験です。

また、小さい頃から、雑誌の女王様フォトを見て育ちましたから、写真への憧れも強くありました。自分の恥ずかしい姿を撮影されたいといった願望です。

ただ、それも大変高いハードルでした。なにせ、当時は、スマホもデジカメもない時代でしたから。普通にフィルムのカメラの時代でした。

撮影は、可能でも現像は、ほぼ不可能です。と言った訳で、写真への憧れも大きかったですね。

私は、どちらかと言うと、痛みといったことより、辱しめといったことが好きなようでした。それは、今も変わらず私の一番の嗜好といっとよいかと。

そんな大昔から、Mだったんだと書いていて大変懐かしく思います。そして、私にとって革命的な風俗が登場します。

テレクラの出現です。匿名で、女性とSMの話しが出来るようになったのです。

次はそんな話しを描きたいです。



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