読書についてのよしなしごと


前置きの長い読書感想文。

わたしは本が好きだが、読書はどちらかというと苦手である。本を読むということは楽しいと思うし、決して嫌いじゃないが、間違いなく苦手である。

本が好きなのに読書は苦手って意味がわからないと思われそうなのだけど、本はもう本という概念だけで良いのだ。活字が整然と印刷され、美しく装丁された表紙と一体化したあの完璧なフォルムそのものが愛おしいのであって、それは必ずしも活字を追うのが得意だということには結びつかない。

まず、わたしの場合とにかく一冊読み切るだけの集中力がなかった。読みながらすぐに思考が脱線し、ページを遡り、他のことを考える。特に賢くもないので、難しい文章にあたるとすぐに蹴躓くし、何ならその時点で苦痛を感じる。

そういうわけだから、いわゆる論説系の文章なんかはもう大の苦手だった。だって、そもそも言ってることが意味不明である。やれアンチテーゼだのモラトリアムだのと意味のわからないカタカナを使わないで頂きたい。よしんば知ってる単語でも、言ってる内容が理解できない。意味もなく横文字を使う営業マンの方が、かろうじて日本語に直せるだけまだいくらかマシである。何が悲しくて日本語の本なのに日本語が理解ができないなんて絶望を味合わないといけないんだ。

そんな調子だから、学生時代国語のテストはいつも時間が足りず苦労した記憶しかなかった。言うまでもなく読むのが遅いからだ。これはまあ一種の技術もあり、訓練でどうにかなるらしいが、けれどやっぱり普通の人より読むのも理解するのも遅いという自覚は依然としてあったわけである。

そんなわたしにとって、速読は昔からの憧れだった。
活字は苦手だけど、わたしは物語というものが好きで、もちろん空想も好きだった。世の中にはおもしろい本が溢れていて、それらに出会うことで確実に世界は広がることを知っていた。読むのが早いということは、それだけで出会える本の数というのは格段に広がる。少なくともわたしはそうだと信じていた。一ヶ月に何冊も読める友人が羨ましく、何をしたら早く読めるのかとよく聞いた(今も聞いてる)。
とにかくも、早く読めるに越したことはないのだ。ちまたでは速読本が溢れているのがその証拠だし、ビジネスマンにとって素早く文章を読み理解することはそれだけで戦力なのだろう。

前置きがかなり長くなった。論点が早くも迷子だ。この時点で、あ、こいつまじで理論的な文章向いてないんだな…というのがお分かり頂けたと思う。

前置き超長くなったが、ここで紹介する本は、そんなわたしの遅読コンプレックスをちょっとだけ軽くしてくれた一冊だ。(ちなみに、速読は相変わらず羨ましいし、早く読めるということは尊敬に値すると思ってます。ほんとうに)

平野啓一郎さんの「本の読み方(PHP新書)」という本を先日読見直した。

これ、実をいうと受験生時代に読解力を高めたくて買った本のひとつなんですが、今朝読み返したらかなり良いこと言ってるなぁとあらためて思ったのでちょっと感想などをしたためてみました。

いわゆるこれも「読書ハウツー本」にカテゴリされると思うのだけど、理論的思考を作ったり、どんな本を読むべきかということよりも「一冊の本をどれだけ丁寧に読むか」にウエイトの8割くらいを置いている。徹底したアンチ速読の指南書だ。

結論から言うと、著者の読書のスタンスはとてもとてもわたしの肌にあっていた。
「読書は楽しい、楽しくあるべきだ」ということを、一貫してこれでもかという程に主張しているからだ。
本書は、「読書はある程度の苦痛を伴ってこそ実につくもの」と豪語する某著者の主張に真っ向から異を唱えている。ちなみにこの著者の本も何冊か昔読んだけど、あまりにも逆の主張してるのでちょっとおもしろくなった。おふたりとも業界ではそれなりの権威だと思うので、いや仲悪いんだろうな…と少し微笑ましくすら感じた(ちなみに某著者は速読をめちゃめちゃ推奨してるのもまた面白い)(彼の著書で好きなのは声に出して読みたい日本語です)
個人的にこの本の好きなところは、遅読を肯定し一冊をじっくりと読むことの大切さを説きながら、実際に「こころ」や「高瀬舟」などの古典や最近の直木賞受賞の本のワンシーンを例としてあげ、丁重に読み解いてみせているところだ。実際に好きな古典作品を「これこれこういうところが良い」「この作家はこんな文書の作り方をしていて素晴らしい」と改めて語られているのを見るのが結構楽しい。あと、語りながら文章の成り立ちみたいなのを細かく分析しているから、実際に自分が書くのにあたっても大変参考になると思う。助かる~~~~~~~!!

名作を紹介しながら著者は「小説の空間構造は建築に例えられる」と言っているのだけど、わたしはこの比喩がとても好きだ。

たとえば、森鴎外の厳格な言葉の建築を「読者をエントランスから迷わせることなくまっすぐに誘導し、最後に十分な広間に開放して自由な時間を過ごさせる」などと表現している。この自由な時間、というのは、まさしく読者が思いのまま思考を巡らせ、登場人物のさまざまな心情に思いを馳せるための余白だろう。

著者は、小説は「前へ前へ」読むのではなく、「奥へ奥へ」読むのが楽しいと主張している。だからこそ、読書は自分に無理なく読める範囲で十分で、一冊をじっくり時間をかけて読めば、そこから得られるものは10冊の本に相当するのだと語る。
ちなみにこの10冊というのは決して比喩ではなく、『一冊の本をじっくり読めば、その作者の別の本、あるいはその時代背景や人物に関連する本に興味をもち、結果的に読むものは増える』という理屈からの数字なので、なるほどなと私は思った。わからないでもない。わたしは歴史小説を好んで読むけど、たったひとりの歴史上人物にハマっただけでももう忙しいもんな。まずその人物の友人知人上司のことが知りたくなってその人の話を読む。今度は時代背景を知るためにその時代の作品を読む。推しが70だ80だまで生きてしまうともう大変である。幕末にハマったのに気づけば明治史を勉強する羽目になる。なんならその次の時代まで知らなきゃいけない。いやほんと沼っていうか海だなって思う。読書の。でも楽しいですよね。どこに飛ぶかわらからないのがさ。

さ著者は多くの新しい本を読むよりも、気に入った一冊の「読み直し」を強く勧めている。

同じ話、同じ一章、なんならたった総合5分のシーンをスルメのごとく噛み締めて延々と狂ってるタイプのオタクにとっては非常に気の合う提案だ。
ある時は読んであまりおもしろくなかった本も、数年後読んだらまったく違った感想を抱くことがある。同じ一冊の本でも、自分がその時置かれている状況や意識のあり方で、面白さはまったく違ってくる。何かを読んで抱く感情というのは、必ずしも一貫性のあるものではないのだ。
自分にとって大切な一冊を、5年後、10年後に読み返すといいと著者はいう。だから本は売らずに、本棚にしまっておこうね、とも。これについては人それぞれのスタンスがあるのでどうぞよしなにと思うが、たしかに「昔読んだから」「ストーリーをもう知っているから」といって一度きりにしてしまうのは惜しいとわたしも思う。

結末を知っているからといって、なんなのだろう。結末を知ってしまったら価値が半減する作品というものは少なからずあると思うが、多くはそうではないことの方が多い。
多くのオタクは作品の中のたったのワンシーン、ワンフレーズに惹かれて何年間も思考を反芻し、問いかけ、なんなら自らifを書き、何らかの結論を出して満足したのもつかのま数ヶ月前の自分さんに解釈違いを起こし、そうやって長い年月を狂い続けるのだ。

わかる~~~~~~~~~わたしも読み直しもリプレイも大好き!!!!!!!!!

というのが、このあたりの感想だった。

生涯読む本が、たった三冊でもいいのだ。そこから生まれた感情や思考の体験、人との出会いは人生に必ず彩りを与えてくれるはずだから。
外観の変化は写真が保存してくれるけど、内面の変化を実感させてくれるのは本だと著者はいう。本棚を見ればその人の人となりがわかるとはまさにその通りで、読んできた本というのは少なからずその人の思考に影響を与えるものだと。

そんなわけで、終始「工夫次第で読書は何倍も楽しくなる」ということを伝えてくれた本だった。
何を読むかより、本を「どう読むか」を丁寧に教えてくれる一冊だ。
おすすめだよ。

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