0830経験と分析⑥-プラグマティズム-

クワイン「経験主義の2つのドグマ」は大きな影響を与え、「プラグマティズムへの転換」を第二の帰結として出していた。

プラグマティズム

知識についての
基礎づけ主義→プラグマティズムへ
意味論の優越(表象主義)から語用論の優越(反表象主義)へ

「言語活動をそもそも表象と考えないことである。われわれは、思考のみならず文に関しても、実在との対応という概念を捨て、文を世界とではなく、他の文と結びつくものと見なければならない」(Rorty)

客観性を連帯に権威をもたらせる発想の転回
言語と対応する客観的実在ではなく、言語の担い手である人類の共同体を優先する態度こそプラグマティズムの徹底であるとみなす
「プラグマティストは、客観性への欲求を共同体における連帯への欲求へと置き換える」

「ネオ・プラグマティズム」

①古典的プラグマティズムとは区別され、クワインを祖とする
②ローティ『哲学と自然の鏡』が
③大きく3世代にわけられる
第一世代:クワイン、セラーズ、グッドマン、ホワイト
第二世代:ローティ、パトナム、バーンスタイン
第三世代:ブランダム、ウィリアムズ、プライス、マクダウェル

クワイン、経験主義の5つのマイルストーン

方法論的唯名論(観念(イデア)から言語への移行)ロック以来
意味論的文脈主義(名辞から文への移行)フレーゲ以来
意味論的全体論(文から文の体系への移行)「2つのドグマ」
方法論的一元論(分析・総合の二元論の廃棄)「2つのドグマ」
認識論的自然主義(物理主義)「自然化された認識論」

反表象主義(図式/内容の二元論の放棄)デイヴィドソン「概念枠」
推論主義的意味論&規範主義的語用論(理由の論理空間)セラーズ「経験論と心の哲学」

「2つのドグマ」の放棄

意味論的全体論と方法論的一元論をクワインは提示。
ドグマ放棄の帰結として「プラグマティズム」の復権を行う。

デイヴィドソン「概念枠」

デイヴィドソンは「経験主義の第三のドグマ」の放棄と反表象主義をうちっだす。


「私は、この概念枠と内容、組織化する体系と組織化されることを待っているものとの二元論は、理解されるものでも擁護可能なものでもありえないと主張したい。これ自体が、経験主義のドグマ、第三のドグマである。第三の、そしておそらく最後のドグマであろう。なぜなら、もしもわれわれがこれを放棄するならば、経験主義と呼ぶための明確なものがほかに残されているのか、はっきりしなくなるからである」
「信念は真か偽であるが、しかし信念は何も表象してはいないのである。表彰やそれにともなう真理の対応説を避けるのはよいことである。なぜなら、相対主義という考えを生み出してしまうのは、表象が存在するという考えそれ自体だからである。表象は枠組に相対的である。」

セラーズ「経験論と心と哲学」

セラーズは「理由の論理空間」と名付け非還元的な規範性をうちだす。


「本質的な点は、ある出来事ないし状態を、〈知っている〉という出来事ないし状態として性格づける際に、われわれはその出来事ないし状態に関する経験的記述を与えているのではない、ということである。われわれは、その出来事を理由の論理空間、つまり、人が述べていることを正当化したり正当化できるという論理空間のうちに置いているのである」

「所与の神話」批判と心理学的唯名論

「種類、類似、事実などについてのすべての意識、言い換えれば抽象的存在についてのすべての意識は、-それどころか個体についてのすべての意識さえも-言語的な事柄である。心理学的唯名論によれば、言語使用の習得の家庭においては、いわゆる直接的経験と結びついているような種類、類似、事実についての意識さえも前提されてはいないのである」
「そうした能力(刺激に反応する能力としての意識)は、知識成立の因果的条件ではあっても、知識成立の根拠ではないのだ。この議論の決定的な前提は、非命題的な『正当化された信念』というようなものは存在しないということ、および、命題間の関係でない正当化というようなものも存在しないということである。」

クワイン「経験主義の2つのドグマ」を分岐点とし、3つの主義が現れる。
クワイン「自然化された認識論」(名前・自然種名の直接指示性)
クリプキ「名指しと必然性」(自然主義)
パトナム「「意味」の意味」(意味の外在性)

クワイン「自然化された認識論」では

科学と連続的な学問としての哲学。認識論の自然化を試みる。最小限の自然主義とし第一哲学の拒否と仮説演繹法以上の正当化ありきの否定をおこなう。
クワインの自然化された認識論の評価されている点は
「哲学と科学の連続性の主張」と「基礎づけ主義的でない哲学のあり方」である。

クリプキ「名指しと必然性」では

名前の意味として、
名前は特定の対象を表す(指示する)ために用いられる。その対象を固定するための記述(指示を決定する性質)はその名前の意味ではない。
「名前がその対象を指示しているならば、たとえその対象が問題の性質(指示を決定する性質)をもたないような反事実的状況に言及している場合であすら、その名前は当の対象を指示するために使われるのである。」
また、
水という物質がそれ以外にはありえない分子構造(本質)を持つ、という科学的(アポステリオリ)な発見
を指摘。


自然主義は
科学の知見を積極的に取り入れる。科学的知識の性質上可謬的であり、また基礎づけ主義も受け入れない。
位置づけ問題とし、物理的世界、より広義には科学的世界にいかにして心や自由意志などを位置づけるか
還元主義的自然主義だけでなく、人間の進化の過程でどのように心や自由意志などがいわば自然現象として世界に現れるのか、という非還元的主義的な自然主義の余地も残されている。
物理的世界の存在者を基本に、哲学的概念の説明をする立場を自然主義とおく。科学が対象とする存在者を前提に、哲学において考察される概念(意味、表象、心、自由意志など)がどのように発生するのかを明らかにする立場。

パトナムの外在主義「「意味」の意味」では

意味論的外在主義とし、
言葉の意味は人の内在的状態(脳の機能や行動パターン)だけでは説明できず、環境などの外在的な要因が必要であるとする。




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