経験と分析⑨-意味-

意味

ある文を理解しているということは、それが真であるための条件を知っていることだという考え。
フレーゲ『算術の基本法則』にて語られた。
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』にも
「命題を理解するということは、それが真であれば何が成り立つかを知るということである。」
と述べている。

デイヴィドソン「真理と意味」では
真理概念についてのタルスキを介し
文の理解を真理条件の知識とみなすという考えの有用性をいかし
自然言語の体系的意味論の基礎をつくりあげる。
1960-1970年代は自然言語の意味論がよく議題にあがった。
チョムスキー『統語論的構造』『文法理論の諸相』
統語論・意味論・語用論の境界を取り払う「生成意味論」
可能世界意味論の誕生により
自然言語を形式言語と同様に扱うモンタギュー文法が生まれていく。

分析哲学の関心の変遷

言語によって表現される「思想」や「命題」。自然言語は障害物とみなされていた→思想や命題の表現に限定されない自然言語の側面も哲学的探究も重要であると認められてきた。

モデルの概念に基づく自然言語の意味論は、モンタギュー文法依頼現在に至るまで「形式意味論」分野の主流となっている。
モデル論的意味論の多くで「言語」と呼ばれているものは2つの解釈がありうる。
①部分的にしか意味を付与されていない言語図式と解釈すること。
②言語からその意味的側面を捨象したもの(統語論的構造であると解釈すること)

vallduviは語用論の中に主題や焦点といった現象を扱う独立の部門を立てるべきだと主張。主題や焦点と言った現象が示すのは、自然言語の文における、その統語論的構造とも意味論的構造とも独立の、情報構造というものの存在であり、それは文において情報がどのように組織立てられて提示されているかに対応するという。

「トークン」「タイプ」

文のような言語表現は、それ自体としては、時空中に位置を持たない抽象的存在であり、それを「使う」ためにはその「事例」である音の連なり、インクの配列、手話の場合であれば一連の動作、が必要となる。これらは、問題となっている言語表現の「トークン」と呼ばれ、抽象的存在である言語表現そのものは「タイプ」とよばれる。
トークンは時空的位置を持つ具体的対象であるのに対し
タイプは時空的位置を持たない抽象的対象である

Aの発声、「雪が降っている」をトークンとして認識する段階は
Aの発声を日本語の音節の連なりとして認識する
そのように認識された音節の列を語に分節して、全体を日本語の文タイプのトークンとして認識する
2段階がある。
第一段階の認識は、日本語の音韻組織
第二段階の認識は、日本語の文法 を身に着けていることで可能になる。

言語表現がタイプという抽象的存在であり、具体的事例であるトークンを通じてのみ我々に現れる。

自然言語には言語的行為に対応する文の特有の形式がある。文のもつこうした文法的特徴を「ムード」とよぶ。

Lの意味論の主題とかかわる言語、このLを「対象言語」、Lの意味論を提示するときに用いられる言語を「Lのメタ言語」という。意味論に限らず、日本語で書かれたアイヌ語の文法書では、対象言語はアイヌ語、メタ言語は日本語という区別になる。対象言語とメタ言語という区別は、言語全体を単位として立てられる区別のため、言語表現の使用と言及とは異なる。

対象言語Lがメタ言語に含まれる場合、ホモフォニックな意味論というものを考えることができる。Lの文Sの意味を与えるのに、Sそのものを用いるような意味論のことである。ホモフォニックな意味論は、対象言語をすでに理解している者によってのみ理解されうるという点で、実用的価値とは無縁の企てである。しかし、見慣れた単語が、見慣れた仕方で文のなかに現れる時「この語がここでいったい何をしているのか」という問いに対し、ホモフォニックな意味論が与える答えは過不足ないという点においては最良のものだといえる。

存在論的コミットメント

クワインの基準は、「われわれはどのようなものを存在すると認めているか」という問いに対し、任意の理論が与えられた時、その理論によればなにが存在するとされるか。(「本当にどのようなものが存在するか」という問いではない)そうした存在者が実際に存在するかどうかは、問題となっている理論を受け入れるかどうかに依存する。もしもその理論が正しいと考えるならば、その理論がコミットしている存在論にわれわれもコミットすることになるということ。

自然言語の意味論は、どのような種類の存在者があり、そのあいだにはどのような関係があるかにコミットせざるをえない理論。(しかしこれはあくまでも経験的仮説である)

寛容の原則

デイヴィドソン
「ひとの言葉を正しく私が解釈できるのは、そのひとと私とが大体において一致するように解釈を行う時に限られる。」
サイモン・エヴニン
「寛容の原則とは、解釈の対象が真なることを一般に信じていることになるように解釈せよというような単一の原則というよりも、むしろさまざまな原則の寄せ集め、すなわち、信念と欲求と行為とがどのようにして相互に合理的に結び付いているか、それを全体として規制しているようなあらゆる原則を集めたものである。」


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