レトリックの語用論-メトニミー-

比喩には
直喩
隠喩
換喩
提喩 の4種がおもにあげられる。

リチャーズ比喩文3つの構成要素

リチャーズは、比喩文を3つの構成要素に分解する
1)たとえられるもの:主旨
2)たとえるもの:媒体
3)主旨と媒体を結び付けるもの:根拠

○直喩と隠喩の違い
「ように」「ようだ」という類似の標識を持つ(直喩)
標識を持たない(隠喩)

メトニミー(換喩)

フォンタニエは、メトニミーを
「あるものをそれと直接関係のある他のものの名称でよぶ、ことばのあや」であると規定。
デュマルセは、次のような具体例を挙げる
1)原因で結果を表す:「机に向かう」で「勉強する」を
2)用具で原因を表す:「矛(をおさめる)」で「戦い(をやめる)」
3)結果で原因を表す:「涙」で「悲しみ」
4)入れ物で中身を表す:「杯(をあける)」で「酒(を飲む)」
5)場所でものを表す:「灘」で「灘の酒」
6)標識でものを表す:「葵」で「徳川家」
7)肉体で精神を表す:「頭(を使う)」で「頭脳(を働かす)」
8)主でものを表す:「カント」で「カントの哲学」を
9)ものでその主を表す:「セーラ服」で「女学生」を

モリエは、換喩の題用法は、事実上または思考内でAとBを結び付けている隣接性、共存性、相互依存性の絆に基づくものであると説明しているが「隣接性、相互依存性」も決定的特徴とはいえない。「あるものをその属性によってあらわす方法」として法が一般的である。

シネクドキ(提喩)

フォンタニエは、提喩(シネクドキ)を「あるものをそれとともに全体をなすほかのものの名称でよぶことばのあやで、一方の存在もしくは観念は、ほかの存在もしくは観念に含まれる」と規定している。

提喩は、種と類の関係にあるものについて、一方を他の方で表す比喩の技法
たとえば「花より団子」「花」は「桜」を指している。

御伽噺で例え

「白雪姫」は雪のように色の白いお姫様だからメタファー
「赤ずきん」は赤い頭巾をかぶった女の子だからメトニミー
「人魚姫」は人魚の一種ということでシネクドキによる名前

「かぐや姫」輝くばかりに美しい娘メタファー
「はなさかじいさん」枯れ木に花を咲かせる特技を持ったおじいさんメトニミー
「鶴女房」人間の女性の姿をしていたが自分の羽毛を素材にして機を織っていた鶴の一種シネクドキ

認知語用論のメトニミー

認知語用論では、メタファー、メトニミー、文法化、イメージ・スキーマ変換、多義語のネットワーク、事態認知と後文の拡張、参照点構造などを取り扱う。

メトニミー
これは、ある部分を参照点としての手がかりとして、意図されるターゲットとしての対象を理解させっる効率的な伝達手段である。
近接関係のリンクの典型例
1)容器-中身「一升瓶を飲み干す」
2)付属物-主体「赤シャツが教壇に立っている」
3)手段-主体「白バイが走っている」
4)作者-作品「漱石を読み続ける」
5)材料-製品「息子がアルコールに依存している」

焦点化されている部分は「図」
その背景になっている部分は「地」とみなされる。

・新情報を構成する部分は図、旧情報を構成する部分は地
・断言されている部分は図、前提とされている部分は地
・ある存在の位置づけに関わる場所ないし空間は地、そこに位置付けられる存在は図
・移動する存在を表現する部分は図、その背景になる部分は地
・省略されている部分は地、記号化されている部分は図

外部世界の状況や事態に関する認識のプロセスでは、
①原因に関わる事象は地で結果に関わる事象は図
②外部世界の場所・空間領域は地でそこに存在する対象は図、
③ある対象が生じる根源ないしは起点・源泉となる部分は地で出現してくる対象は図
④時間的に先行する事象は地で後続する事象は図として理解される傾向

メトニミーとメタファーの違い

「鍋が煮えている」
言うのは鍋そのものの状態ではなく、鍋の中身が煮えているということ。

その言葉が文字通りの意味で指すものではなく、それと近接の関係にあると認められるものを指す仕方で使われている。

認知言語学としては、メトニミーの基盤は言語に特化されない人間の認知能力が関係すると考える。
そのひとつに、ラネカーの参照点能力がある。
「村上春樹を読んでるんですよ」
村上春樹という人物が参照点で、その作品が標的(ターゲット)

参照点理論では、「近接性」を「ある参照点とそれを介してアクセス可能なものとの関係」と規定。

参照点能力は、「所有」の意味を参照点を示すものとみることもできる。

ラネカーは指示のことを’profile’とする。
わかりやすく言えば「斜辺」。
直角三角形がないと意味をなさない概念である。
直角三角形をベースとして斜辺がプロファイル。
特定の対象をそれ単独で指しているのではなく、ベースの中のある部分を際立たせるというのが、指示にほかならないという考え方である。

「父親」「母親」といった親族名称もベースに親族関係の全体があり、その一部分として際立たせられている


メトニミーは基本的に経験領域が一つのフレームで焦点の違いを表しているから、新しい単語で創造する時にフレームそのものは旧来のまま、一方メタファーはそこで初めて類似性があると認められる新領域をもってくる

これってメトニミーは全体と部分、メレオロジー的なものであるから集合とメレオロジーの違いにもいえるんじゃないかと思った。


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