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死のうとしてから3ヶ月が経った。
希死念慮は全くもってなくなった。毎日毎日死ぬことしか考えてなかったが、3ヶ月前の私はいつも床の間につくとき死に際のことしか想像していなかったし計画を入念におこない、楽しみにしていたが。「死体」となって私が美しいと感じる「ゾンビ」と一体となれると想像してはその芸術作品の完成を楽しみしていたが。死して初めて完成される作品をつくる感覚だった。私にとって「死」は自己選択であり芸術の美しさを体現する一通過点でしかなかった。ああ、美しい作品になれるようにと身体作りもがんばっていたのに。今はもうそうんな情熱どこかに消えてしまった。筋トレや食事管理、美しくいることは、その後の作品を作るためでしかなかったため。容器を最大に美しく、私が最大に美しいと思う数字できれいに遂げたかったのだ。
ああ、人が死してもなお私は美しいか美しくないかで判断している。そこに美しさを感じるかどうか。理想とする綺麗な数字がある。ああ、美しさがある。でもそれ一つでは美しくても、その背景背後をかいまみると曇り濁ってしまうことがある。なんともこの時湧く濁った空気がモヤモヤする。美しいのに美しくない靄が生まれる。

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