0902経験と分析⑦-表象-

表象とは

表象とは、ある対象「について」という志向的状態のことである。単なる主観ではない「代理」とも訳される。
多くの語は表象的性格をもつ。
たとえば
「アインシュタイン」はアインシュタインその人を代理し、
太郎が「アインシュタインが舌を出している」と主張するとき、
その文はアインシュタインその人が舌を出しているという命題を表象している。
真偽を問うことができるかどうかという性格が言語に表象的性格があるかどうかの一つの基準となる。

表象主義

「主義」の多義性:必ずしもすべてではないのに「主義」
グローバルな主義=文字通りの主義
ローカルな主義=争点となるいくつかの事例についての特定の立場

言語的表象主義に限定。言語は世界を表象する。
道徳的語彙や助詞などは考察の対象外
道徳的主張に真理値があるかどうか、助詞や接続詞がそもそも何かを表象するのか等の問題には関わらない。多くの語彙が表象的性格を持つというグローバルでない表象主義で十分。
表象主義は実在論的態度と親和的である。
表象主義は外的な対象と語あるいは語の使用者とが志向的関係に立つということが前提とされている。

外的な事物を表すものとしての言語

〇クリプキの功績の1つ
私たちが言葉を(前もってある)何らかの対象を表すために用いるという素朴な言語直観を指示する素朴かつ説得的な見取り図を提示したこと。
〇パトナムの外在主義
言葉が表すものが部分的だが重要な意味で外的なものであることを示した

私たちは多くの場合、言語「を用いて」外的世界に存在する事物について何事かを述べている。

表象と基礎づけ主義

多くの言語表現は世界に存在する事物について、それが何事かを述べるために用いられている。
このことは、すべての知識、すべての真理を導き出すような絶対確実な知識・真理が存在するかどうかとは無関係に成立する言語的実践の記述である。
このような表象主義は基礎づけ主義ではない。
ローティの誤りは、表象主義を安易に基礎づけ主義に結びつけたこと。表象という概念が有害と考えてしまったこと
私たちの普段の言語使用において、むしろ表象主義的な言語間の方が実情を正しくとらえている。自然主義的・実在論的精神をもつ分析哲学

反表象主義

ローティは「反表象主義と実在論は両立する」と主張。「表象主義者=実在論者」だが「反表象主義者≠反実在論者」とおき、反表象主義においても実在を取り扱うことは十分にできるという。
存在へのコミットメント(existential)は構造化された「理由の空間」の内部において、ある単称名辞に正準的なアドレスを与えることであり、形而上学的な存在論的コミットメント(ontological)と混同するべきではない。
前者は反表象主義の射程内において十分に可能である。
とする。

ローティ以降のネオプラグマティズムの第三世代では、「反表象主義」をとったリサーチプログラムの枠内で、言語の表象的機能を説明し、実在を回復するための議論をしている。
ロバート・ブランダム
セラーズに由来する推論主義と方法論的プラグマティズムの立場から、表象的語彙の説明を試みる
ヒュー・ブライス
グローバルな表象主義・グローバルな反表象主義の立場から、表象的関係に訴えない表象概念の定式化を試みる

ブライスの主体自然主義

客体自然主義
存在論:存在するのは科学によって研究される世界
認識論:すべての本当の知識は科学的知識
主体自然主義
哲学は、科学が私たちに私たち自身について教えることから始める必要がある。科学は私たち人間が自然生物であることを私たちに教え、哲学の主張や野心がこの見解と衝突するならば、哲学が道を譲る必要がある

批判として、この区別自体は排他的ではない。客体自然主義に共感する者もまた、自身を自然生物だと自覚しているはずといったものがでる。

〇主体自然主義の優位
先行性テーゼ
客体自然主義の妥当性は主体自然主義的視点に依存する。主体自然主義は客体自然主義に理論的に先行する
非妥当性テーゼ
客体自然主義が妥当であるかどうかが疑わしい強い理由がある
「客体自然主義=表象主義」「主体自然主義=反表象主義」

〇表象主義的前提
言語的諸アイテムは非言語的なものを「表す」あるいは「代理する」


客体自然主義のこの前提は私たち人間が言語を用いて何をしているのかについての実質的な理論的前提を持っている。

〇客体自然主義の実質的な理論的前提
実質的な「語と世界」の意味論的関係は、私たちの語の使用の最もいい科学的説明の一部である

意味論的関係:語における指示的関係や文における真理の対応説(言語的表象主義)

客体自然主義は意味論的表象的関係の経験的偶然性にコミットしている。
客体自然主義はどの語についてもその語がなにを指示するのかは経験的な事柄である。
しかし、意味論的語そのものに関するこのような経験的態度を理解するのは不可能に思われる。

自然主義者が意味論的関係の実質的な説明を必要としないことを示せればよい(price)2013

標準的な表出主義=ローカルな表出主義
道徳的な主張などは真偽が問えるものではなく、評価的態度を表出している
道徳的な主張など、特定の語彙に限定した表出主義
ブライスの表出主義=グローバルな表出主義
本当に記述的な語彙など言語にはない。すべての語彙は表出的である

意味論的関係(対応関係)ぬきに表象
〇i-(intermolist)表象とe-(eenironmental)表象
i-表象:認知や推論的構造に基づく表象の内的な機能的役割
e-表象:共変(covariation)や表示関係(indication relation)に依存する環境トラッキング型の表象

表象主義者の誤りはこの2つの表象を同じものだと考えたことである。
言葉の内容とは推論的なネットワークの結節点でありi表象、それぞれの結節点がe表象的な役割すなわち対応的役割をもつということは要求されない。
表象にはi表象とe表象があり、i表象こそ言葉の内容をとらえるための表象概念であり、言葉の内容についてe表象は必ずしも要求されない。(price)

ブランダムの推論主義

推論主義
ことばの意味を、そのことばが推論において果たす役割に求める立場
「表象主義」と対立する主張として提示
表象主義:言語を原子論的にとらえる:「命題/文/語」を基礎単位
推論主義:言語を全体論的にとらえる:「命題/文/語間の関係」を基礎単位

方法論的プラグマティズム
ことばの実際的な「使用」のみに着目し、ことばと世界の表象的関係については言及しないという態度

〇プライス表象主義への批判
ローカル表出主義がうまくいくとしても、せいぜい反グローバル表象主義であって、グローバル反表象主義には至らない。
グローバル反表象主義に至るためには、グローバルな表出主義が必要
そもそもなぜ、グローバル反表象主義に至らなければならないのか。

〇ローティが指摘する意味論的表象主義の問題
認識的な特権的表象
「ある事物について、それがしかじかであると私たちが表象している」
という観点から環境との私たちの広義の認知的・志向的関係を考えたならば、様々な種の認識的な特権的表象へのコミットメントが必要になってしまう。これは、セラーズが退けた「所与」に相当する。
認識的な特権的表象は、それだけで私たちが何かを知っているあるいは理解しているということを含意するような、自然的あるいは本来的な認識的特権を持つものとみなされる。
こうした特権的表象こそ、「認識論的基礎づけ主義の無限後退のストッパー」の役割を果たす。
このような表象の特権性に対する批判を、セラーズ「所与の神話」クワイン「2つのドグマ」から学んだのでは?

表象主義者は、基礎づけ主義を取らないし、そもそも認識論的懐疑が不要とする。

ブランダムは、以下を指摘する。
私たちが語ったり考えたりしている世界は、私たちの語りや思考を因果的な制約だけでなく、合理的な制約(正当化にかかわる制約)をも行使する。
この制約を離れてしまうと、経験的に有意味な判断という考えそのものが喪失されざるを得ない。
「表象をそのようなものとして理解するとはどういうことか?」「表象的内容として把握するとはどういうことか?」「何かを実際に表象として取り扱うとみなす際に何をせねばならないのか?」という問いに答えてくれるのが、すでに破綻した「認識論的な特権的表象」だった
意味論的表象主義は、それ以外の答えが可能でないならば存続可能ではない。
表象主義者が見落としているポイントは意味と理解は不可分である。
ダメット以来の意味論的精神:「意味の理論は理解の理論である」
ブランダム自身の目論見は、因果的な制約と世界の言語に対する合理的な制約について包括的に取り扱うことで「表象」機能をもつ語彙の理論を提供する。

表象的語彙の使用に課される3つの制約

①私たちはなんらかの表象を取り込むあるいは把握するとき、私たちは何を行っていなければならないのか説明する。
規範的ステータス(権威や責任)による説明
②文の内容に対する語用論的先行性と整合的でなければならない
③諸表現、状態あるいはエピソードの意味論的内容は他の諸表現、状態あるいはエピソードと本質的に関係している。(全体論的制約)

これらはローティが表象主義を拒絶した理由の源泉でもある「もつれあい命題」、つまり意味論と語用論が分かちがたく結びついている言語実践を取り扱うための制約である。

推論主義による表象的語彙の分析

ブランダムの戦略:表象的語彙についてのローカルな表出主義
表象的語彙を他の語彙に対して特権的なものとは扱わず、推論主義の手法である「意味-使用分析」によって、その表出的な機能(使用実践)の詳述を行う。
言語の表出的(非記述的)役割を明らかにするという点において、ブランダムの推論主義のプログラムは、表出主義である。
ただし、表出的な機能をもつ語彙は、論理的語彙、様相的語彙、そして規範的語彙など複数ありえ、それぞれはローカルなものに留まる。

表象的語彙の意味、使用分析の具体例

表象的語彙とは、何か「についての」語り。
そこで”that"のスコープ内が’of/about’のスコープ内かに応じた、義務論的スコア記録の相違を明らかにすることで「について」の語りおいて私たちが何をしているかを明示化する。
1)誰かに、あるコミットメントを帰すること(事象・対象についての「デ・レ帰属」)
2)ある態度を誰かに帰属させる当の者もまた、あるコミットメントを引き受ける。あるいは認めている(述べられたことについての「デ・ディクト帰属」)

発話内容が「that」のスコープに入る場合は、1)のコミットメントをもつが、「について’of/about'」のスコープ内に入る場合は、2)のように、命題的態度が帰属される当の者ではなく、その態度を帰属させる者が引き受ける。
例えば
「太郎は、本当は無実の花子について、彼女が財布を盗んだと信じている。」
と私が言う時、「本当は無実の」は太郎にそのコミットメントが帰されるのではなく、私がそのコミットメントを引き受けている。


ブライスとブランダムの議論のように、ネオプラグマティズム第三世代は、実在論的精神の回復が1つのテーマとなっており、論争はつきない。

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