0828経験と分析④-カルナップとクワイン-

〇経験主義にとってもっとも切実な問題
 論理学および数学に属する命題のもつ必然性をどう説明するか
ラッセル『数学原理』 数学は論理に還元できると主張
『論考』 「論理的真理=トートロジー」説
論理実証主義者による、論理学及び数学に属する命題の必然性の説明
1)論理学の命題および数学の命題は、分析的命題である
2)分析的命題は、トートロジーである
3)トートロジーが真であるのは、そこに現れている語の意味による
4)語の意味とは、その語の適用を支配する規則によって与えられる
5)語の適用の規則は、規約によって定められる

エイヤー『言語・真理・論理』
「分析的命題は、語をある仕方で用いるというわれわれの決定を記録するものに過ぎない。そうした命題を否定することは、そう¬すること自体が前提する規約に違反せざるをえず、よって、自己矛盾に陥らざるを得ない。そして、これこそが、分析的命題の持つ必然性の唯一の根拠なのである。」

「プラトニズム」経験する対象から成る世界とは異なり、それから独立に存在する「数学的対象」あるいは「論理的対象」から成る世界が存在する、といった主張の立場。

〇必然性の源泉はなにか、どのようにして必然性を認識するのか
→プラトニズムでは解決しないよね
→必然性の源泉を、言語活動、私たちが取り決めた規約によって説明できるのでは?

〇数学的真理の真理性のみを規約によって説明するには
数学的理論においては、それ以上他の用語によっては定義できない用語(「原始名辞」)、それ以上他の命題によっては証明できない命題(「公理」)がなくてはならない。
〇数学的真理の前代が規約によって真であることを示すには
1)数学的真理は、何らかの数学的理論の公理であるか、それとも、定理であるかのいずれかである
2)数学的理論の公理は、規約によって真である
3)数学的理論の定理は、公理からの論理的帰結である。
4)一般に、命題Aが命題の集合 からの論理的帰結であり、集合 に属する命題のすべてが規約によって真であるならば、命題Aも規約によって真である

数学に対しこうした観点をもつことの利点
①数学を、さまざまな現象に共通に見られる構造の探求であると考えるならば、数学の探求対象としてなにか特別の数学的対象の存在を想定する必要がなくなる
②数学が様々な分野に応用できるという事実を、この考え方は無理なく説明することができる。
数学的真理とは、公理とともに数学者が導入する語の意味のみから由来する真理、すなわち、必然的真理である

規約に関しての問題は、それを採用することにわれわれが意義を認める必要がどこにあるのか。規約による真理という考えが何を達成させるのか。

個別的規約は一般的規約からの帰結であるといわれていても、個別的規約が一般r的規約からの帰結であることをわれわれが認知することは不可能、ということからクワインはこういう。
「一言で言えば、困難はこうである。論理が規約を介して進行するものであるとするならば、規約から論理を引き出すために論理が必要となるのである。」(Quine,"Truth by convention")
しかしこの後に、すでに存在する言語的実践に対して、「後から」、規約を明示的に定式化するという考えを挙げる。
1954年に出された論文"Carnap and logical truth"に比べると「規約による真理」は断定を避けたようにあげている。

必然性の由来を経験に求めることができない命題が存在することから、認識の全体が最終的には経験にのみ根拠を持つとする経験主義の立場が危ぶまれた。が、認識における言語の役割に焦点をあわせ、言語は、認識にとって、単に外在的なものではない。言語を書いては、そもそも、認識は成り立たない。とすることで「必然的真理」というものは、言語的活動に従事していることから由来する真理であると位置づけた。

必然的真理の全体を「分析的真理」と特徴づけ、
「分析的真理」は、言語を用いることによってきまる言語的規則から由来する真理であると考えられた。
また、この考えに具体的な実質を与えたのが「規約による真理」
言語を用いる際にある一定の規則にコミットする。


カルナップ『言語の論理的構文論』において、
カルナップは、哲学とは「科学の論理学」であり、科学の論理学とは、科学言語についての構文論である、というテーゼをだす。
「構文論(syntax)」は、いわば、「文字づら」だけを問題とするような、言語についての理論である。ことばの〈意味〉とか〈指示対象〉とかにま全く触れることなしに、ただ、その言語における様々な種類の記号の現れ方だけを問題とする、「書かれた模様の幾何学」である。構文論には、どのような記号列を「文」とみなしてよいかを決める「形成規則」と、どのような文をどのような文からの帰結とみなしてよいかを規定する「変形規則」がある。
カルナップはその後、ことばの指示対象や文の真理を直接取り扱う「意味論」的なアプローチを採用することになる。

カルナップは
あたかも対象そのものについて語るような語り方を「実質話法」
それに対応する構文論的な文を使った、明白に記号について語る語り方を「形式話法」
とよぶ。
そして、「形式話法」ではなく「実質話法」で行うことは場合によっては矛盾が生じる危険があることを指摘する。
クワインはこういったカルナップの「言語的規約」に賛同しながらも、後には「ホーリズム」という考えを「経験主義の二つのドグマ」(1950)にて提示する。

「経験主義の二つのドグマ」では、クワインは、分析的-綜合的という区別そのものに反対することになる。
一般的には、
経験的な探求をしなければ真偽がわからないような命題(経験命題、アポステリオリな命題)は、「綜合的」な命題。経験によらず真であることがわからる「アプリオリな命題」は「分析的」な命題。

〇どのような命題が分析的で、綜合的か
(「経験主義の2つのドグマ」ではこの区別に反対する立場をとっている)
分析的命題
「すべての独身者は結婚していない」
この命題が真であるのは「言葉の意味をしっている」だけで十分
綜合的命題
「心臓をもつ動物はすべて腎臓をもっている」
「心臓」「肝臓」といったことばの意味だけではなく、動物の解剖といった経験的な探求を必要とする

クワインは
「アプリオリな命題はすべて分析的であるか」と問いをたてる
カントも同じ問をたて否定的な答えを持った。
アプリオリな心理のうち、論理的な心理→分析的、数学的な心理→綜合的 とした

もし、「アプリオリな命題はすべて分析的である」とするならば
命題の真偽は、必要なのは「任意に定めた規約としての規則を知っている」ことだけになる。
もし「綜合的な命題はすべてアポステリオリである」ならば
命題の真偽は、「経験に基づいてしることができる」ということになる。

「変形規則」をもうける。
「明示的定義」あることばを別の表現に置き換えてよい規則
「陰伏的定義」ある一群の命題をすべて真であると言語的な規約として取り決めることで、あることばの使い方を定める規則
クワインは後者の定義を言語的な規約としてもうけた。

経験的なことばであっても、定義の仕方にはいかなる欠陥もないと主張する。科学法則は「定義」とみなす。
後のホーリズムでは、ことばにそれぞれの意味があるということ自体が否定される。しかし、この時点では、ことばの「理解」は「意味」をしることであり、「理解」の成立は「意味」の成立であって、それは「定義」を与えることに他ならないとしていた。 

しかし。経験的探究の結果、理論が変化するという誤謬がうまれる問題があらわれる。「ホーリズム」では、われわれが様々な命題を受け入れることによって、ことばの「理解」が成立する、と発展させ解決を与える。


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