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それでも、祈る

 波の音がする。潮の匂いがする。水平線には遠く船が見える。十二月の風に耳が痛い。砂浜に足をとられながら、波打ち際まで歩いていく。あと三歩進んだ先は海水に濡れている。

 二週間前、祖父が死んだ。八十二歳だった。七十三歳でステージ3の癌を患ったが完治して、寿命で死んだ。祖父はクリスチャンだった。死の間際、呼吸器を当てられた祖父の脇に神父が立ち、祈りをささげた。みなで祈りましょう、と私も聖書を渡される。祖父母がカトリック信者であるにも関わらず、聖書を開いたのはじめてだった。小さな文字で書いてある言葉をつまづきながらも読み上げる。宗教というものに抵抗があったはずなのに、祖父が満足して逝くのであればと必死だった。

 えりちゃん、嘘をついたらいけないよ。えりちゃん、がんばるんだよ。そう言いながら、夏はピスタチオの殻を剥き、私の手のひらに三粒おいた。冬は紅茶と牛乳を鍋で煮出し、お気に入りのマグカップに注いでくれた。

 ぼんやりと湘南の海を見ていた。キリスト教に三途の川はないだろうし、狭間にいる人たちはどこにいくのだろう。祖父は今どこにいるのだろう。天国というところだろうか。

 まあでも、考えてもわからないことはわからない。波が届いたのか、靴の先が濡れていた。私は手のひらを合わせて組んだ。目を瞑る。祖父がどこにいっていたとしても、その場所でまた幸せでありますように。答えるように潮風が強く吹いた。

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