興味の方向性を辿ってみる


「なんかものづくりしたいなあ」という気持ちが、いつからかずっと心の中にある。でも漠然と「ものづくり」っていうけど、結局何がやりたいんだ?てか私の「ものづくりしたい欲」はそもそもどこから生まれてきているんだ?……ということで、ざっくり、自分の好きなことや今まで興味を持ってきた方向性を辿ってみたい。本当にざっくり。

時系列でざっくり辿る

小学生時代

このときの私にとって、大事だったことは
・本を読むのが好き
・漫画を読むのが好き
・絵を描くのが好き
の三つ。

少女漫画雑誌を買って読んでいたので、雑誌という形態に憧れて、友達数人と漫画雑誌っぽいものを作ろう!と企画したりしていたこともあった(実現はしなかったので結論的に「ごっこ」で終わった)
自分でノートや紙に鉛筆で漫画を書き、おまけの作者のページなんかを描くのも好きだった。
小説やエッセイを読むのも好きだったので、自分でも小説っぽいものを書い……書こうとしてみたり、漫画や小説に限らずストーリーのネタをメモしたりしていた。

このときから「受け手として好きになったもの(漫画や小説など)を、自分でも作ってみたい」と自然に思って、そんなに本格的ではないものの、やろうとする姿勢があった。

ただ、実際に完成させることは少なかった。
思いついた設定のメモばかり溜まっていく。

こういう設定の人がこういう展開になっていく話、面白いのでは?を考えつくのは楽しいんだけど、ストーリーとしていわゆる起承転結を考えることまでなかなか至らなかった。(多分)

そもそも少女漫画を読んできた人間なので、話の展開というよりも、どういう設定の人がどう出会って恋に落ちるか、みたいなところまでしか考えてなかったのかもしれない。恋愛ものに限らず「こうなっていく話」の「こうなっていく」過程を膨らませるのが大変なんだけど、そこまでを詰めて考えたりはしていなかった気がする。でもあの時は、それでも楽しく思いついたり、絵を描いたりしていたからそれでいい。

あと、いわゆるストーリー漫画とは別に、ちびまる子ちゃんやあたしンち、コミックエッセイなどを好んで読んでいた影響で、自分の身に起きたことを漫画化して表現するみたいなことも、この頃から好きだった。


中学、高校時代(&浪人期)

部活や勉強など、学校のことが忙しくてあまり記憶がない時期。ただ、小学時代に比べて機会は減ったにしろ、漫画は読んでいたし、本もまあまあ読んでいたし、絵もたまには描いていたと思う。

小学生時代ほどの情熱と余裕はなかったが
・本を読むのが好き
・漫画を読むのが好き
・絵を描くのが好き
はそれなりに継続されていた。

振り返ってみると、漫画とか絵よりも文章を書いていた時間の方が多いような気がする。文章といっても、ケータイ小説に感化された小説を友達と一緒に書いたりとか、個人ブログの日記を更新したりとか、そんなすごいクオリティのものではないけど。個人ブログ、かなりのめり込んでいた……。

「絵を描くのが好き」という気持ちを自覚していたため、高一の頃に漠然と「美術系の大学に行きたい」と思ったりもしていたが、進学校ゆえに親にも先生にも微妙な顔をされ「まあ別に私が好きな絵ってガチの美術じゃないし…」とすんなり諦めた。

直接美術を学ぶことは早々に諦めた私だったけど、やっぱり漫画とか文学とか、そういう方向のことが学べそうな学部を選んだりしていた。

大学時代

大学時代の自分は、胸を張って
・本を読むのが好き
・絵を描くのが好き
と言えない状態だった。
漫画は読むけど、そんなに頻繁に絵を描きもしないし、本たまに読んだらえらいなくらいの感じ。

その代わり、
・映画を観るのが好き
という新しい興味の方向性が出てくる。
別にそれまで、特に映画が好き!というわけでもなかったのだが。

結果的に、大学での専攻は映画研究になった。

なぜ急に映画に興味を持ち始めたかというと、進学して住み始めた京都の街にはミニシアターがいくつかあった(地元福岡にもミニシアターあるにはある)のと、繁華街に近いところに住んでいたため映画館に足を運びやすかった。それに、電車に乗れば大阪や兵庫にも観に行ける距離なので、観たいと思った映画を見逃しにくい環境にあったことも大きい。

また環境の理由と別に、コマ割りなどの漫画の演出って、映画でいうカメラワークなんかとも似た部分があるのでは?というのがあった。
結局は、漫画への興味が映画の興味にもつながった。

大学では、主に文学部っぽい授業を受けていたけれど、そこで知ったのは人が作った作品を解釈したり、分析したりする楽しさだった。
ハリーポッターなどの英文学に潜むメタファーを学ぶ授業や、村上春樹などの近代文学を読んで解釈・分析したことを発表しあう授業が特に面白く記憶に残っている。
映画専攻の方では、学問として論文を読んだり技法を学んだり…ということに関してはあまり真面目にやれていたとは言えないが「この作品について、もしくは自分で選んだ作品について分析しなさい」みたいなレポートを書くのが好きだった。

だから実際、映画が好きと言っても「たくさん観てます」とは到底言えなかったし、昔の作品に詳しいわけでもないし、作品を観ること以上に観て何を考えるかとか、それを人と話し合うことが好きだった。だから今思えば、別に映画でなくても、解釈・分析するという楽しみ方ができれば漫画でも小説でも同じように好きなのだと思う。
結果的に卒論では、漫画を原作とした映画を取り扱って、原作と映画を比較するということもできたので良かった。

卒論や、卒論以外でも映画についての文章を書けるようになれたらいいなと思い、映画系webメディアのライター講座を受講したりもした。あとシナリオ講座とかも通った。実際にその後、映画に関するライティングをしたりシナリオを書いたり…という風には転ばなかった。
改めて思うと、私は別にもともと「映画が好き!」な訳でもないし、映画を観るようにはなったけれど「特別映画が好き!映画じゃなきゃダメ」というわけでもなかった。だから、色々な方向で学びこそしてみたけれど、結果的に「映画」が今に繋がっていないのは「その経験を活かせなかった」のではなく「結局、別に映画じゃなくても良かった」だけだ。映画がというより人が作った作品を解釈したり、分析したりすることが好きだった。

第一次就活

大学時代の就活では、主にテレビや新聞などのマスコミ関係を受けた。

そういえば大学時代、映画とはまた別に、人の人生を描くドキュメンタリー番組を観るのも好きだった。
と言っても、プロフェッショナルとかセブンルールとかサラメシとか、ドキュメント72時間、U29など…。
純粋にいろんな人生を知るのは楽しいし、特に「やりたいことが見つかった」などの転換期が明確にある人生は、そこから可能性が広がっていく感じが好きだった。「それまでやってた仕事を辞めて」「学校に通い」「やりたいこと一筋で自分なりの働き方を実現してます」みたいなストーリーが好きだった。

たぶん、現状に満足せず「本当にこれでいいのか?」と立ち止まって疑い、自分で未来の可能性を切り開いていくのが好きなんだと思う。
その点では私自身も今、そういう道ではあるのだけども。

自分の可能性を「こんなもんだと思ってたけど、もしかして本当はもっと広げられるのでは?」と気づいて広げていくって素敵だなと思う。

おそらくマスコミを志望したのには、そういった思いもあったのだと思うけど、結局は「好きだしやってみたいし、興味のある業界だから」以上に動機がなかった。(と思う。たぶん)

もちろんうまくいかず、就活自体をやめることにした私に、クリエイティブな仕事をしたい欲がここで蘇ってくる。
というかそもそも、求人をみたりしているなかでデザイン系とかクリエイティブな職にやっぱり惹かれてしまうんだけど、そこで太刀打ちできるような経験(学んだ経験)が私にはないなと思って諦めたりしていた。

昔から絵を描くのは好きだし(あんまり描いてはないが)そういう勉強をしてみたい気持ちはずっとあったし、今学ばなかったとしてもいつか後悔するだろうなと思った。
クリエイティブな専門職につけるよう、勉強して、また就活し直そう。
そんな思いを抱えて大学を卒業し、その後一年のフリーター期間で今後の道を検討した結果、デザインの方向へ舵を切ることに決めた。

ちなみに余談だけど、そのフリーター期間中に、ずっとやってみたいと思っていた同人誌制作&サークル参加を果たした。ずっと漫画を描きたい欲はあったけれど、本当にやることがなく暇な状態になればできるということがその経験でわかった。

専門時代(今)

デザインの勉強をしよう。そう思い学校に入ったのも、結局は「絵を描くのが好き」というセルフイメージからである。最初からデザインが好きだから勉強したいと思った…というより、根本には「絵を描くのが好き」という自己認識があり、そこから広がって「何かを生み出すのが好き」、さらにそこから繋がったのがデザインだった。

そうやって自分の目の前に出てきた選択肢ではあったが、デザインについて世の中に生み出されているものすべて、誰かが考えて作ったものであるというのは美しいことだと思う。偶然ではなく、意図して、思考の末に表現されているというのがすごくかっこいいと思うし、そういう意図で作られていたんだ、ということがわかったときは楽しい
映画の時と似ている。
そして私は、受け手としてすごいな、いいなと思ったものを自分でも作ってみたいと思うたちである。先述したように、小学生の時からそうなのだ。そうして、私はデザインを学び始めた。

そしてさらに、いつかの時点からコピーライティングにも興味を持ち始めた。コピーライティングというか、コピーライター?
博報堂の講座が学校であり、キャッチフレーズを考えるにとどまらない、企画全体を考える仕事なんだとわかった。
広告の仕事を魅力に感じるのは、アプローチの方法が多様なところだ。「この商品をアピールする」という目的があって、そこに向かうための道筋を色々考えて、その中から適しているものを選ぶ。(実際形から決まっている場合もあるかもだけど、私のイメージとしてそういう感じです…)

毎回同じではない、(媒体は同じであったにしても)新しいアプローチを探る作業を繰り返すところに惹かれているのかもしれない。
可能性の枠が定まっていないところがいいなと思っているのかもしれない。

どういうところが課題なのかを見極めて、どんなアプローチで解決していくか考える。デザインも似たようなところはあると思うけれど。

やっぱり、鑑賞者としても解釈したり分析したりすることが好きなので、きちんと思考のプロセスを経て生み出される企画やデザインに憧れている。できたらいいな、と思っている。まだ全然できているとは思ってないけれど…。

あと、コピーライティングに関しては、単純に言葉の表現に興味があるからというのもある。実際の機能的に違うものだとは思うけれど、音楽も歌詞をメインに聴くタイプで、言葉を言葉として楽しむところがある(こういう表現最高だな…とか…めっちゃ漠然)。ただ実際に広告コピーを書こうと思ったら、言葉としての良さに囚われてしまったらよくないと思うけど。

こう言いつつ、言葉としての表現よりハッとさせてくれる、気づいてなかったけど「確かにな」と思わされるコピーの方が好き。特に短かったり、言葉はそんなにひねってないのにハッとするやつ。


とりあえず最後に

本当にざっくり、書きながら振り返ってみた。
基本的に私は「受け手として好きになったもの、いいなと思うものを、自分でも作ってみたい」と思うたちだ。
でもそれって、まだ受け手としての好きが強い。作り手として、作っていく過程が好きなのか?というのはまた別問題だし、そこはもっと作る経験と、自覚を重ねていかないとなと思っている。

「こんなものがあったらいいな、作れたらいいな」を考えるのは好きだし、言いようによったら得意なのかもしれないけど、手を動かして形にする経験がまだまだ足りない。

そんな感じでとりあえず書きながら振り返ってみた。

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