【考察】黒脛巾組の淵源【備忘録】
1、伊達政宗と真田幸村
伊達政宗の忍者集団のことを黒脛巾組(くろはばきぐみ)という。
なんでも、大阪夏の陣の前に、伊達政宗は、雑賀衆を配下に引き入れたそうだ。
大阪夏の陣と言えば、家康の大阪城攻略の話だ。
大阪城に入っていた、真田幸村が、真田丸を築き抵抗したが、淀君が家康に屈した。
その際、日本一の兵、真田兵と伊達が刃を交える訳だが、前日に既に、幸村は、伊達の片倉小十郎に家族を委ねていたという。
2、仙台藩重鎮世襲名片倉小十郎
片倉小十郎は世襲名である。初代は片倉景綱(かたくら かげつな)で、代々の当主が踏襲して名乗る。
片倉景綱―重長―喜佐(松前安広室)―片倉景長
大阪夏の陣で、幸村と対峙したのは、2代目小十郎の重長
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