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(Book)✨大人の道徳



道徳教育ってなんだろうってつくづく思います。
以前勤務していた学校で道徳の授業があり、デスエデュケーションについて取り組んだことがあります。
人の生きることと、死ぬことについて考える、そんな授業を展開したのですが、死について教えるとは何事だとクレームが入り、頓挫してしまいました。
海外では至って普遍的なデスエデュケーションですが、日本の道徳ってどういう役割を果たせばいいのかなと思うきっかけとなりました。

教員になった当初は本当に毎日辞めたい辞めたいと思っていたのが懐かしく思います。
あの時は各方面から「可愛がり」を頂いていたので、しんどかったですね。教員が教員を育てる重要性を感じた時期でもありました。

ということで、大人の道徳という本を読みました。非常に良書でした。
道徳心って非常に大事だと思うんですよね、他者を敬う心というか。
道徳心のない人って噂話で盛り上がったり、人の陰口を叩いてニヤニヤしたり、ろくでもないなぁと思うのですが、教育現場からそのような行動を根絶できたらいいなとも思っています。
(本質的に悪口を言ってしまう人はしょうがないと思うのですが、人を巻き込まないでほしいなと思います)


道徳はキレイごとではありません。
先人たちが伝えてくれた「精神文化」と「身体文化」の結晶です。

よくビジネスパーソンに必要なスキルとして「IT・会計・英語」の3つが挙げられたりしますが、
私はここに「道徳」も入れたい! と本気で思っているほどです。

インターネットが世界中を駆け巡り、すべての情報が一瞬のうちに共有されるグローバル社会において、 人間関係はどんどん多様に、そして複雑になっています。

本来人を幸せにする技術が、人をおとしめたり、誤解したり、孤立化させる要因にすらなっています。
こうした閉塞感のただよう社会を生き抜くために必要なのが、本当の意味での「道徳」なのです。

本書「はじめに」より


ふつうって何?というありきたりでふつうな疑問

中学生の頃に歴史の勉強をする意味がわかりませんでした。高校生の頃も然り(担当の日本史の先生が本当に嫌いで何も勉強しなかった)です。
浪人して塾に通った時に本当にいい先生に出会い、歴史って同じことを繰り返さないためにやるんだなぁと学びました。

今は「普通という勘違い」を是正するのが歴史の役割だと考えています。

これからの時代は母子家庭の存在も踏まえて、家庭教育を考えていかなければならない。(中略)
かつての日本では養子も一般的でした、あそこは跡継ぎに恵まれなかったからうちの子をひとりあげようということが普通に行われていたのです。
このように視野を海外にも広げたり、歴史を遡って考えていくと、別に母子家庭が将来特殊な形態ではなくなるわけです。

35ページより引用

と母子家庭について著者は述べてます。
口を開けば普通はとかっていう人いますよね。自分が言われるのは普通、結婚したい年齢なんじゃないですかってことですかね。
ただ、自由結婚になったのも昭和中期です(それまではお見合い)。歴史を勉強していないと、自分の経験則でしか物が語れず、普通という言葉を乱発してしまいます。
普通とか常識的に言う人って発言をする人達は基本的に歴史的な教養がない、あるいは国際的知見がないことを露呈しているように感じます(もちろん人に優しく、とかモラル的なことは全世界共通です)。

心を育てるの臨界点

子どもたちの自尊心を育もう!みたいに心の教育が今叫ばれています。
一方筆者は心というものを一方、筆者は心というものを個人的で変わりやすい感情や気分と定義しています。
その心を支えるのが、精神文化と身体文化です。


本書49ページより

つまり、心の安寧には精神文化と身体文化を身につけることが必要ということです。
精神文化とは実は文化そのもの。共同体で共有される普遍的な意識や秩序のことです。
具体的に言うと、日本人の武士道みたいなものです。

一方、身体文化とは礼儀作法などです。話を聞く時は話し手の目を見て聴く、起立礼みたいなもんですね。

この精神文化と身体文化を学び、心を支える土台を作る重要性を説いています。 

今の人達は心が折れやすいと言われています。
それはなぜかというと本来精神文化と身体文化で支えてきたはずの心が、その土台を失ってしまった。そうすると心が自立するしかなくなってしまいます。けれどもともと心というものは天気が移り変わりやすいのと同じように不安定なものです。しかも個人的なものです。それを自立しろ動くないというのは難しいだから、共有されていて変化の少ない文化を身につけましょう。

68ページより

なるほど、この意見が本書のタイトルにある大人の道徳につながるのだろうと思います。
集団スポーツやってた人って基本的にいい奴が多いように思います。あと、武道やってた人達。
それは本書でいう身体文化を身につけているからなのかなと思います。
教えてくれる人を尊敬する精神文化と、身体で表面化する、身体文化の双方を身につけることは非常に大事ですよね。
他人のことを尊敬したり尊重するのって大事だけど、それは分かってるんだけどなぁと思ったら続きのまとめが面白かったのでご紹介します。

消極的道徳と積極的道徳

道徳ってなんだろうと定義付ける際に、道徳という概念を細分化すると解決する場合があります。
本書でも同様の解決のアプローチを取っていて、以下のように定義付けます。

人間関係は以下のようにすると上手く回ります。
①消極的道徳(ルールを守る、他人を傷つけない)
②積極的道徳(異質な他者と交流し社交関係を築く)
③敬遠(どうしても苦手な人からは遠ざかる)

何ページか忘れたけど引用


この順序を誤っている症例を見かける気がします。
学校教育で他者を受け入れよう!みたいな風潮。例えば外国籍の人達を受け入れようとか、LGBTを受け入れようとか。
でも、その前にモラルを身につけて傷つけないっていうところが大事だと思います。

言葉や行動で他人を傷つけてしまう人は、大人になってもいっぱいいます。
それは得てして自尊感情の低さなんだろうなとは思うのですが
(他人を下げることによって、自分を相対的に上げようとする)
まずは消極的道徳を手に入れるべきだと思います。
全てを受け入れる事なんて不可能です。価値観の違いがある時に全部受容できたら、その人はバリュークライシスみたいな感じになるのでしょう。

だからこそ、上記の段階を踏み、まずは傷つけないよう配慮する、そして受け入れようとする。それでもダメだったら遠ざかるという三点セットを取るのが一番でしょう。
すごく卑近な例ですが、私は連絡を返さない人がとても苦手です。
何年間も未読スルーをされて、突然忙しかったみたいに返信があった時もありました。
20代の頃は、まぁもともと仲が良かった人だと受け入れてはいたんですが、結局嫌われたくない症候群だったと思うので
30歳になってからは③の敬遠するを使用するようになりました。


親しき仲にも礼儀ありというところで、大人の道徳、すごく面白かったです。


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