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なぜ土方歳三は近代戦を戦えたのか

 十数年前、東軍慰霊祭が北海道の江差であり、翌日のバスツアーで二股口に行ったことがある。新撰組の土方歳三が、箱館戦争で激戦を繰り広げた山中だ。
 たまたまツアー参加者に陸上自衛隊の方がいたので「この場所って、陣地として、どうですか」と聞いてみた。すると「戦略的にはベストではないですね」という答えだった。ここが守りきれなかった場合に、次の場所を想定しておくのが基本だが、それがないというのだ。
 その時、私は、土方は西洋式の戦闘術を身につけていたわけではないのだなと思った。そんなことを学ぶ機会などなかったのだから当然なのだが、ならば、なぜ土方隊は強かったのか不思議で、つらつら考えてみた。
 戦国時代の合戦と幕末の戦闘の相違点は、個人戦か団体戦かの違いだ。戦国時代、足軽は味方同士で一番槍を競い合い、騎馬武者は敵と名乗り合って一対一で勝負した。つまり個人の手柄の積み重ねで、勝敗が決したのだ。
 幕末の近代戦になると、兵卒は上官の命令に従って、ひたすら団体で行動することが求められた。個人の判断など無用どころか、むしろ邪魔になった。大名家の家臣団なら、主君への忠義という漠然とした観念だけで、統一行動が取れたかもしれない。だが新選組は寄せ集めゆえに、別のしばりが必要だった。
 土方歳三は京都で隊士たちを束ねる際に、規則を徹底させた。実は、この規則への絶対服従こそが、近代戦を戦う鍵になったのだろう。あとは剣を銃に持ち変えて、兵を鼓舞するだけだ。武器や作戦などよりも、いち早く意識を切り替えられたのが土方歳三であり、そこが強さの秘訣なのだと思う。
 ちなみに上のイラストは、函館出身の某グループのジャケ写ポーズのパクリ。ズボンの太ももにも書いてあるけれど、右から榎本武揚、土方歳三、大鳥圭介、中島三郎助。

文/植松三十里 画/うえまつえみ(いとうえみ)
「新選組友の会ニュース」vol.150 2016年発行に掲載
「なぜ土方歳三は近代戦を戦えたのか」

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