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「歴史街道」で横須賀製鉄所を書きました

 現在発売中の「歴史街道」10月号で、横須賀製鉄所のことを4ページ(上の写真が2〜3ページ)で書きました。今年5月に「ティボディエ邸」という横須賀製鉄所関係の新しい記念館ができたので、それに絡めての編集部からの原稿依頼でした。いちおう得意分野の幕末明治の海軍関係だし、なんとか書けるだろうと、わりあいに気楽に引き受けました。

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 それに「繭と絆 富岡製糸場ものがたり」(文春文庫)という作品を書いたときに、富岡製糸場の設計者が横須賀製鉄所と同一人物だったので、すでに横須賀にも取材に行ったことがあり、いちおうの知識はありました。

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 横須賀製鉄所といえば幕臣の小栗上野介忠順と、フランス人の初代場長だったヴェルニーが有名です。ふたりの胸像はヴェルニー公園に並んでいますし、当時の巨大機械が収められたヴェルニー館も、同じ公園内にあります。
 今回、記念館ができたティボディエは、ヴェルニーがフランスから呼び寄せた副場長でした。ところが調べ始めてみたところ、ティボディエの資料が予想外に少なくて、大丈夫かなと、やにわに不安に。
 それでフランス語のサイトなどを当たりつつ、改めて横須賀に取材に行ってきました。この時期、他府県への移動は、どうかなとは思いましたが、どうしても必要だったので。
 ティボディエ邸は、細長いヴェルニー公園の中でも、ヴェルニー館とは反対側の端近くにありました。もともとティボディエが住んでいた本来の宿舎は、製鉄所の裏山にあたる高台に、近年まで残っていたようです。さすがに、そのまま移築できる状態ではなかったらしく、梁などの一部建材を活かして、海沿いのヴェルニー公園に再構築したようです。
 そのため古い建物ならではの情緒はないのですが、瀟洒なデザインは継承されており、展示も興味深いものでした。とくにシアターで上映される動画が、とてもよく作られています。
 今回「歴史街道」にも書いたのですが、横須賀製鉄所にはフランス人が100人も働いており、日本人の職工は、さらに多かったことでしょう。それに製鉄所は、普段から一般公開されていたため、全国から見物客が押しかけ、現在、ヴェルニー公園がある一角には、宿屋や土産物屋が並んでいたそうです。
 横須賀製鉄所は明治維新後に横須賀造船所と改称し、今はアメリカ軍基地の一部になっています。明治初めにヴェルニーやティボディエたちが、日本人と力を合わせて造った石造りのドックは、今も基地の中に残っており、ヴェルニー公園の対岸に望めます。かつてはフランス人が働き、暮らした場所に、今はアメリカ人がいるという点に、横須賀の歴史性や物語性を感じます。
 ティボディエ邸は今は感染拡大防止のために閉館中ですが、公開時期など詳細は公式サイトで↓
https://thibaudier-yokosuka.com/

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