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土方歳三と勝海舟の知られざる貸し借り

 佐久間象山の一人息子、佐久間格次郎が新選組にいたことがある。象山が暗殺された後、会津藩の山本覚馬の口利きで入隊した。仇討の助っ人が欲しかったといわれている。
 象山の正妻は勝海舟の妹だ。格次郎は妾腹の子だが、当時は正妻が母親役。つまり海舟にとって格次郎は甥に当たる。ただし海舟は揉め事は理論で決着をつけるタイプで、剣が勝負の新選組のことは、よく思っていなかったらしい。
 格次郎は新選組に入ったものの、いつまでも仇討はできず、父親譲りの態度のでかさで、周囲から浮いてしまった。そして結局は脱退。
 だが、ちょっと待て。局中法度書の鉄の掟「局ヲ脱スルヲ不許」はどうした? なぜ無事に抜けられたのか?
 実は慶応二年七月五日の「海舟日記」に「近藤勇、土方歳三へ五百疋。山本覚馬へ五百疋。佐久間格次郎、世話いたし呉れ候為、挨拶とし遣わす」とある。それからほどなくして格次郎は新選組を抜けた。
 海舟は金に細かい。金で揉め事の決着をつけるのも得意技で、好きでもない新選組に、挨拶程度のことで金を渡したりはしない。これは明らかに甥っ子脱退の示談金だ。ただし五百疋は、そう大金でもない。近藤と土方としては、海舟なら恩を売ってもいいと、大人の判断をしたのだろう。
 それから月日が経ち、近藤が流山で官軍に捕えられた時、土方は海舟に助命を頼んだ。貸しを返してもらおうとしたに違いない。だが海舟の方は金で決着をつけたつもりだし、応じることはなかったのだ。

文/植松三十里 画/いとうえみ(うえまつえみ)
「新選組友の会ニュース」vol.151 2016年3月10日発行に掲載
「土方歳三と勝海舟の知られざる貸し借り」


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