失敗という名の地下鉄に乗って③   ~そして少年は演劇と出会った~

おはようございます。劇団昴の三輪学です。

大人の軽口と子供の義理人情により、
まったく興味のない演劇クラブに入部してしまったわたくし。
それはそれは絶望いたしました。

歴史産業クラブが廃部になり、なぜかわりに作られたのが演劇クラブだったのか?

クラブ活動初日を迎えてわかったのは、
新しく赴任してきたイトウ先生がもう一人の顧問で、
演劇をたしなんでいる先生だったから、ということでした。

このイトウ先生がわたしの最初のお師匠さんということになります。

さてさて、この演劇経験者の先生に一体どんな形で『三歩歩いて右を向け』を指導されるのかと戦々恐々としていたわたしでしたが、
まず最初に行ったのは『即興劇』でした。
つまり台本のないお芝居です。エチュードというんだよ、と教わりました。

なんだそれ?台本がないってどういうこと?

『出会いのエチュード』
二人が向かい合う。お互いの呼吸をあわせて歩き出す。
すれ違い振り向く。出会う。
そこでお互い感じたままにアクションとリアクションを行う。

なんだこれ?

これが演劇なのか?

すんごい面白いじゃないか!

わたしが、ロボットのように決められたことを決められた通りにやるもんだ、と思っていた演劇とは
まるで別物でした。

自由だ!俺たちは自由だ!
何者にもなれて、どこへでも行ける!

小学生のわたしにはあまりにも強烈な演劇との出会いでした。

後々この先生にうかがったことですが、こういった演劇の基礎レッスンを小学生に対して行うことが
どういうことになるのか、先生にとっても未知のことだったそうです。

これは私の持論ですが、即興演劇って大人になって分別とか打算が働きだすと、色々考えちゃうし、恥ずかしいし、苦手な人が多いんです。

でも小学生は違いました。

公園の砂場でのままごとのように、実に生き生きとエチュードを楽しんでいました。

色々な台本を用いない演技レッスンを、レッスンとは思わず毎週行います。

途中3人組の一人が転校してしまい2人になってしまったりもしましたが、
夏休みになると、全国の演劇教育者と生徒の研究集会があり、
うちのクラブも参加することになって、短い稽古期間でしたが都内のホールで成果発表の本番を体験します。
主演に立候補してダブルキャストでしたが、主役を演じることもできました。

あの時、会館の屋上で頼まれてもいないし、指導者もいないのに、
即興遊びを行った全国各地から集まってたみんな、元気にしてますか?
たしか年上で、ネバーエンディングストーリーが好きなお姉さん。
僕のこと覚えてるかなぁ。トンちゃんですよ、わたし。

この頃になると、イトウ先生が参加している『身体表現の会』という集まりにも参加するようになります。
夏の集会での演出で、この会の主宰でもあったのが先生の仲間、タダシ先生です。
この当時中学校の教員で、演劇部顧問だったタダシ先生が第二のお師匠さんで、イトウ先生の師匠でもあるんで、大師匠ですね。
その名の通り、劇団ではありませんので、公演活動などは行っていませんでした。

こちらの会は週末の夜開催で、小学生が一人で出入りするのは本来難しい感じだったのですが、

使用していた公共施設が近所だった。
メンバーに学校の先生がいたので親が安心した。

この2点に救われて、メンバーの大人たちにまぎれてどっぷり演劇にはまっていきます。

小学校卒業が近くなってくると、クラブ発表会に向けて本格的な演目の稽古が始まりました。
演目は『たんば太郎』。こちらも主役のたんば太郎を演じさせてもらうことができました。

このクラブ発表会が好評で、学校にセンセーションを巻き起こします。
来年度のクラブ選びのために、クラブ説明会が発表会の後にすぐ行われたのですが、
不人気だった演劇クラブの教室には、あふれんばかりの入部希望者が詰めかけ、
急遽教室でもう一度『たんば太郎』を上演することになりました。私服で。

校内では、ありとあらゆる所で「たんばたろー」と声をかけられました。

ちょっと先の話になりますが、中学に進んで、中2のときに中1の女子軍団から
「たんばたろー!」なんて声をかけられたこともありました。

あ、もしかして、俺、いけてる?

ただし、モテテはいない。

でも、なんか、評価されてる?

俺ってすごいんじゃね?

モテないけど。

思えばこの頃から、私の中の『根拠のない自信』がムクムクと育ち始めた気がします。
それは顧問のイトウ先生とは別の、担任だったイトー先生によるところも大きいのですが、それはまた次の機会に。

つづく

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