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喫茶店をつくることを目指している人間の、一例。 自己紹介と経歴(2020年版)

喫茶結社なんて自己主張の強い屋号を名乗っているくらいだから、さぞかし自己主張の強いやつなんだろうと思われがちですが、人並みです。


ごきげんよう
喫茶結社主宰のテラニシ・シュウヘイです。

6月は喫茶結社(正確にはその前身)の創業月。
毎年のこの時期は振り返り、セーブポインントとして位置付けております。
ありがたいことに、最近は私及び我々のことを新しく知ってくださった方も増えたので、本日は自己紹介のような文章を認めたいと思います。
ふふふ。自分語りですね。


喫茶結社とは

そもそも、喫茶結社とは、という話を簡単に。

「はみ出した個性のアジト」をつくることを目指す、神出鬼没のポップアップ喫茶店ユニット。
その暗躍活動範囲はイベント出店やカフェの間借り出店のみならず、ネット上での #エア喫茶店 やコーヒー豆とZINEのEC販売を通した「喫茶」の時間と空間の創出にまで及ぶ。

ちょっとカッコつけて書きました。こうありたいという願望も含めていますが、特定の店舗を持たない喫茶店、という認識で概ね相違ありません。
ちなみに、ユニットと称しており、「我々」という言い方もしますが、構成員は主宰の私一人です。

この屋号でやりたいことの達成率はまだ20%ほど。
まだまだ、これからです。

▼過去の活動はこちら

では、この酔狂な屋号に至るまで、そしてそこから今日に至るまで、簡単に主宰テラニシの経歴を通して振り返って参ります。


2010年ごろ:明るくはない中学高校時代

言葉にしたら陳腐になってしまいそうな、それでも当時の当人には死活問題だった息苦しさの経験。マジョリティの輪には入れない、はみ出し者の時間でした。
それは、「学校や家以外で居場所がほしい。家族や友人・先生以外で話を聞いてくれる人が居てくれる場所があればいいのに。」という思いを抱くに至ります。
そして、その理想は「喫茶店」という形が最も近いように感じていました。
当時の私の想像力が貧困だったということもありますが、店員と客、カウンターの内側と外側という距離感が心地良いように見えたのです。
しかし在学中はそんな理想の店に出会うこともなく(中高生が喫茶店、というのもいささかハードルが高かったのです)、ただ漠然と「無いなら自分でつくろう」という気持ちが芽生えていました。

2014年ごろ:大学時代・初めてのポップアップ喫茶店

大学生になり、色々なことに手を出しながらも「いつか喫茶店をやりたい」と吹聴しておりました。
そんなある時、「なんで今やらないの?」と言われたことに衝撃を受け、イベントとしてポップアップ喫茶店を開催することを決意します。
『喫茶とりかご』と名乗ったその店は、今思えば拙い部分ばかりでしたが、そのコンセプトは「安心して羽を休めることができる場所」「未知の世界との遭遇をする喫茶店」という、現在の活動にも通じるものがありました。

2016年ごろ:就職・カフェ企業

就活ではあえて飲食業以外を中心に受けていました。
ただ、面接でも「いつか喫茶店をやりたい」と吹聴しまくっていたら全然受からず、最終的に、カフェ企業の最終面接で社長と意気投合してそのままそこに就職しました。当然の帰結かもしれません。
業務は店の営業に関わること全て。調理・接客・発注・アルバイトスタッフの管理業務などなど。
接客好きが昂じて接客コンテストへの出場したり、発注が苦手過ぎてエクセルで“簡単発注ツール”をつくったり。ポンコツ社員でしたが割と自由にやらせてもらっていました。

この頃、飲食業の社員という立場に立つことで自分の将来像を改めて見直し、「いつか喫茶店をやりたい」を「必ず喫茶店をやる」に決意したりしていました。2017年の6月22日のことです。
けれどもこの時はまだいきなり独立するつもりもなく、働きながら少しずつポップアップ喫茶イベントを開催していました。

2018年ごろ:インドネシアに渡る・カフェ事業を起こす手伝い

物事が変わるタイミングは唐突で、この頃私はインドネシアの企業に転職します。
インドネシアの知り合いの会社がカフェ事業を始めるにあたり、そのサポート要員として、かねてから「いつか喫茶店をやりたい」と吹聴していた私に声をかけていただきました。
経験不足なのは不安要素でしたが、それ以上にチャンスへの魅力が勝ってしまい、断腸の思いで勤めていた会社を退職。インドネシアに渡ることにしました。
業務は店舗の商品開発・立ち上げスタッフ教育・ルール作り・店の営業に関わることの全て。
このように書くと何だか凄そうですが、実際は毎日ただ必死だっただけです。

2019年ごろ:帰国・喫茶結社立ち上げ

ストレスで心身を削った結果、1年3ヶ月ほどで帰国することになってしまいました。
店を立ち上げ、私が居なくても回せるような状況になるところまで。
周りの人にありったけの迷惑をかけた、挫折、ですね。当時の上司やスタッフの皆の顔が、今でもフラッシュバックして、どうしようもなく申し訳ない気持ちになります。
それでも、その1年3ヶ月を“最低の思い出”と言い切ることはできません。
ひと言で言い切るには、あまりにも様々な気持ちが巡りすぎる、大切な記憶なのです。

帰国後、インドネシアに居た頃に日本から応援してくれた方々に感謝の気持ちを伝える場所を設けたいと思いました。
それが『喫茶結社』最初の企画です。

喫茶結社はインドネシアに居た頃に練っていた構想の一つを発展させたものでした。
開店するたびにコンセプトが変わる喫茶店、というコンセプトから広げて、最初の企画以降は月に一度のペースでポップアップ喫茶店を開催。
しばらくは自分の思うままにやってみようと考え、2019年は東京を拠点に活動していました。

この頃、コーヒーの見聞を深めるために15代ワールドバリスタチャンピオン井崎英典氏が主宰する『 コーヒー共和国』というオンラインサロンにも入会します。

2020年ごろ:京都に移住・世界文庫アカデミーでの活動が加わる

「 新しい働き方 」の学校、『世界文庫アカデミー』への入学をきっかけに、京都へ移住。
活動拠点が移ると同時に、自分以外の作り手と一緒に活動することも増え、活動の幅が広がりました。
しかしその一方、移住初日に脚を骨折。治ってきたら今度はウィルス騒ぎでポップアップ喫茶店ができなくなるなど、活動そのものは思うようにいかない日々が続いていました。
ただ、その結果インターネットを使って「喫茶」の時間と空間をつくること、コーヒー豆とZINEの販売を行うことなど、新しい活動に挑戦することに繋がったことも事実です。

最近:ブレることなく粛々と

やっぱり実店舗がいいなぁ、なんて思いながら、虎視眈々と世の中を眺めています。
目まぐるしく変わる世界に身を置いても、やっぱり私は場所をつくりたいみたいです。
そもそも今までだって1,2年単位で身を置く世界を変えてますからね。あまり関係ないみたいです。

リアルな喫茶店を持つ、という前提を改めて
それは物件取得を目指すという意味ではなく、ポップアップだろうと間借りだろうと、お客様に直接感謝を伝えられる場所をつくることを目指す、という意味で。

もう少し落ち着いたら、また場所を借りて暗躍しようかと思っています。
あるいは、もっと自由な形になるかもしれませんが。

何かいいアイディアがあれば、ブレイクスルーの時が来れば、私はそんなことばかり考えていました。
けれども、私に関してはそうじゃない気がしています。
やるべきことを、然るべき相手に、ブレることなく粛々と。
それしかできないのです。

社会人としても、カフェ喫茶店の業界の人間としても到底至らぬ人間ではございますが、その酔狂の様ををもう少し見届けていただければと思います。


それでは皆様、きっと近々お会いできる、その時まで。

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