摩衣の快適部屋とふらふら|Profile
'23年より無拠点生活。ベースは三菱デリカカーゴをセルフリノベーションしたバン。ここで2018年生まれの長男と暮らしている。
このバンの持ち主のことを簡潔に
大学卒業後、新卒で民間企業へ入社、24歳で結婚。ここまではただただ「順調そう」な私の履歴書。
それ以降どういうわけか色々しでかし、転職7回、離婚2回、引越は累計20回を越えた。
底辺生活は30歳の頃。手取り14万円、月の労働270時間(10時間/日×27日)を2年間耐え抜いたことは、人生の大きな糧となっている。
第二夫(=長男の父)との離婚は約2年前。現在は人生の第3ステージを奔走中。
テーマは「身軽であること」
多数の引越経験、国内外の旅の経験から、持ち物が少ないこと、こだわったモノとだけ暮らすことに美学を感じるようになった。
特に長男と海外へ行くようになると、必然的に2人分の荷物をひとりで背負う必要があるため、当面の人生の課題かのように感じるようになる。
「身軽」を求める背景
物理的な「手荷物」を減らす
留学や長期の海外滞在の際、スーツケースひとつ、たった90Lそこそこの手荷物だけで暮らせることに感銘を受けた。
普段なら使い分けている2つのものを、1つで済ませられるように工夫する。また無しで済ませる。必要だと思いこんでいるモノを見極める日々というのは、なかなかクリエイティブだと気づいた。
目的は海外転居
「兎にも角にも海外へ居を移したい病」を20代前半からこじらせ、なんとか行くことはできないものかと画策するものの、時の夫たちとの歩調が合わず実現できずにいた。
いざ独身に戻り、長男のイエスを取り付けたら、もう私を止められる者はいなかった。(と思ったが、流行り病騒動に止められた。あれがなければ'22年からバリ島に居住しているはずだった)
(持参するモノリストは下記)
いざ南アフリカへ
2022年12月、私と長男は南アフリカ行きのチケットを手にしていた。旅立ちは2023年3月下旬。
バリ島への転居のお預けを食らう間、自粛が耐えられなくなった私は、当時3歳の息子を連れ、コロナ最中にメキシコへ、気分が乗る限り居続けた結果、2ヶ月ほど滞在。
メキシコ5都市を堪能し「日本人の8割が真っ先には選ばない滞在先(完全に主観)」の面白さに気づいてしまったがため、南アは危険と知りながらも喜々として行き先を変更。順調にモノも処分し続けていた。
じゃあなんでいま私は日本にいて、しかもバンで暮らしているのか。(詳しくは下記)
「身軽」のその先へ
とにかく現状私達は日本にいて、バンを拠点としている。
家を手放すということは、同時に家に掛かっていた全てを手放すことだ。
例えば水道光熱費、共益費、インターネット代、ウォーターサーバー代、家のメンテナンス代、諸々。
これは大きなキッカケだった。我が家の場合は、保育園(インターナショナルスクール)も手放したことで、月々25万円もの固定費が削減されたのだ。
家賃や学費などの固定費と、食費などの変動費。
このうち固定費を削減することが、大きく家計を改善するキーとなる。
この「固定」部分は、本当に「固定」なのか。家計を見直したいという意図だけではなく、人生に与えるインパクトの大きさを思い知った出来事。
(詳しくは下記)
固定概念を手放す
私たちはいま、長い間の大量生産大量消費の資本主義社会の中で浸透している(そして知らず知らずのうちに刷り込まれてきた)これらの基本的な常識、たとえば
日常的に使っているモノ
無いと生活できないモノ
当然だと思っている概念
などなど、更に具体的には、
日焼け止めは必ず塗る
水道水よりウォーターサーバーが安心
野菜多めの栄養バランスの取れた食事が良い
電化製品は電気がないと使えない
など、なんの疑いもなく常識として捉えてきたモノゴト、概念を疑ってみることから始まり、同じく「当然購入するもの」と思っていたものを自分で作ってみる(勿論更に良いものにする工夫も)ということを行なっている。
このnoteではその一部分も共有したい。
衣食住のうちの「住」は、バンに切り替えたことは既にお伝えしたが、次は「食」について、自然農法を取り入れた自給自足を始めた。
極論働かなくて良い、ウルトラCの技
三重県の奥伊勢にある大型商業施設「VISON」の有機農場で、自然農法での自給自足が学べるカレッジに参加している。
「土作りの神」から学んでいて、これがめっちゃおもしろい。自然と調和した農のすごさ、自然そのもののすごさにいつも「へぇ~」が止まらない。
ここで得た知恵は、もうすでに私の食の概念の大部分を覆してくれているが、その一部は例えば、
なぜ最近の人参は昔より味が薄くなったと言われるのか
なぜ「栄養バランス」という概念が近年になって突然世間に浸透したのか
このあたりの回答は、すごく納得のいく形で腑に落ちた。
ここでひとまず20種類くらいの野菜とお米の作付をし、一部はすでに収穫も出来ているし、今後はお味噌などの発酵食品も自作できるようになる。
作物のお世話をするのは、VISONの近所に住んでいるわけではないので、2週~3週に1回の数時間、他は完全放置。「土作りの神」伝授のウルトラCにより、私の食生活(とエンゲル係数)は改善されてきている。
食を確保できれば、ひとまず生きていけると実感。
30歳、社畜だった自分に助言したい
考えてみれば私が何故、月に270時間も労働する必要があったかといえば理由は明白で、それは目の前の生活のためではなく「将来不安」だった。
闇雲に転職を繰り返してしまった、バツイチ(当時)三十路の独女。こう書いてみると結構気の毒な感じだし、実際に自分でも、今後どうしたものかと思っていた。
これといって手に職もない、支えてくれる旦那ももういない。ここで頑張らなければ、将来食いっぱぐれてしまう。私の社畜生活は、この将来不安によってのみ支えられていた。
将来不安を解決する手段を「お金」に求め過ぎていたことが、ひとつ原因としてある。それしか知らなかったのだから、彼女を責めることはできない。
世の中お金で解決できることばかりだし、逆にお金がないと生きていけない。と思っていたが、本当にそうなのだろうか。
資本主義社会も楽しいことがたくさんあるので、それを追うのもいい。でも、そうじゃない方法もある。30歳の追い詰められた自分には、選択肢を提示したいと思う。
ここまでご覧頂き、ありがとうございます。 各地で得た経験を読者の方に還元できるよう、精進します😊