対立
今、この世の中で イベントをやる。
この事で昨日、対立があった。
「君はイベントをやろうとしている人だから、こんな事を言っても理解して貰えないと思うけど」
彼のこの前置きに私は殴られたような衝撃を受けた。去年まで出演してくれていた彼はこの1年の間に「イベントをやろうとしている人」では無くなってしまっていた。
彼は変わってしまった・・・なんて単純な話ならまだ良かったのだが、そうではない。彼は変わってなどいない。彼の活動はプロデュースから建築など多岐に渡り、その中には待機児童支援の活動も含まれている。例えビデオ出演だとしても、万が一の事があってはいけない。私も彼の活動を遠巻きにではあるが応援している。この事はコロナ禍以前から変わっていない。
何より彼は弁の立つ方ではないので、その後に続く言葉は「俺は出たいとは思えない」だけだったのだが、その不器用さも含めて変わらない彼の魅力だと私は思っている。不器用な彼は時として、核心を突くような言葉を紡ぐ。
「出たいとは思えない」
"これが世の中の総意か"
配信とは言えイベントをやろうとしている私は恐らく世の中からすれば異端であり、不要不急の対象なのだろう。変わったのは私か?いやそんな事はない。彼も私もそのまま。変わってしまったのは世の中だ。
この対立は
世の中に切り捨てられた私と
世の中に必要とされている彼の
立場と立場の対立だったのだと思う
対立構図への理解が深まった上で交渉についた。
コンフリクトを紐解くと、私の「出演してほしい」とはつまり「今年もお祝いの音頭をとって欲しい」という事であった。
一方彼も、変わってなどいない。つまり私達自身の事を嫌っているわけではないはずだ。
「出演せずに祝う」
この最適解として「電報を送る」という事で合意に至った。
このリモートの叫ばれる世の中、彼は配信ライブに電報をよこすらしい。
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