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夢日記から:感覚過敏な人への配慮、がもっとあるといいな

わたしは某ショッピングモールに入っている呉服屋さんで、着物を見たいと思っている。お店屋さんの見取り図を見て、計画を立てている。何の計画かって?――店員さんにつかまらないで、いかに静かに着物と対話できるか、を実現するための計画。

お店に入ると、獲物を見つけた猛禽類のように、しかしながらぺちゃぺちゃした店員さんがこちらめがけてやってくる。(うわぁ)と思いながら身をすくめていると、案の定店員さんはお客さんとの接点を築こうと「会話」を投げ続ける。――しまいに耐え切れなくなって、わたしは言う。

「わたしは自閉症の傾向をもっていて、情報処理に課題を抱えているんです。だから、そんなに一気にいろいろ言わないでください。頭が混乱して着物なんてちゃんと見られなくなるから――!」

豆鉄砲を食らった鳩のようになって、しかしぽかんと「なんのこっちゃ」に(この人大丈夫か)味の混ざった店員さんの顔を認めて、目が覚める。

そういう型どおりでかつ義務に追われたようなコミュニケーションの在り方に脅威を感じる特性を持った人も一定数いる、ということがちゃんと認知され、それに配慮した対応や接客が合理的配慮として成される日が来たらいいのに、と半ばため息をつきながら、朝の支度をした。

そしたらお店にそろいもそろってギンギンに蛍光灯を配置しないだろうし、ドラッグストアやおもちゃ屋さんであちらからもこちらからも洪水のように流れてくる機械音を考えるだろうし、換気扇メーカーも換気扇の音を最小限にするような設計に優先的に取り組んでくれるんじゃないか。

そいで、頭の中は見えないから、妊婦マーク、のように「感覚が敏感です」「わたしは特に耳!」のように、可視化できる何かがあるといいのかもしれない。


どうかにゃ~?

^^♡

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