黒い犬のもてなしかた
心理専攻のある学部だったから、心理を少しかじったのだけれど
その基礎の授業か何かで、ゲーテが「黒い犬が訪れる」と言っていたと聞いて、そう、それそれ、と思ったものだった。
何かがざわーっと、自分の心に圧力をかけるような時期がわたしの人生には周期的にあって、(しかもそれを無意識で好き好んでやっていて)もう来ないかなーサヨナラ!、と思っていても、やっぱりそいつはやってくる。
黒いそいつは私の頭にどさっと乗っかって、ご機嫌そうにしている。やめてよー、重いから、どいてよー!…そしらぬ顔、言語が違うのだ。彼は彼の不文律に従って、彼の自然を生き、体現している。私はなす術もなく、黒い犬の下敷きに甘んじる。
ものごとに良いも悪いもないって思ったら、それは全然平気なような気さえするけれど(だって滑稽にもほどがある)、でも実際、重力的にしんどい。やつはブラックホールを連想させる。重力のはたらく方向性とその濃度が、彼の周りだけ歪む。つまり、地球の正当な重力とはちょっと違う。こんなのありかよ、やめてくれー。
たぶん、動く時期に動きすぎるから、そのうち無意識で静を求める、ということなのかもしれない。静のところに何かが満ちてくるのを、待っている。
動かないこと、動けないことを否定してしまう、欧米か!みたいな生産性を追い求める思いこみが、「私」は強いみたいだ。ふーん、、、
創造性と意識の間の風通しの良い状態は最高だし、とても気持ちが良いのだけれど、どうやらこうして黒い犬が寝そべって、手も足も出なくなるところに、落差が生まれ、その落差が崩壊して何かを押し流すときに、途方もない動力が生まれるようなところが、あるような気がする。ジェットコースター人生。
そういう今日にも、賛歌を。
黒い犬を歓迎し、ヨシヨシして、何なら味噌汁にご飯を混ぜたやつでも、食わしてやりたい。
令和四年一月九日 記
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