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こころのなかと、そとの世界に橋を/ "I guess I have to give it birth"


ずっと、頭の中の雑多な想念やイメージに

適切な言葉を与えたかった。


「与えたかった」のは、

往々にしてそうした想いや感情に言葉が与えられず

どこかみぞおちや胸や、喉のあたりに詰まった感覚が

いつもあったからだ。


 自分の心や頭とこの世の外の世界との間に橋を架けたかった。

 それは音楽でも絵画でも構わなかった。腹の奥底からダイレクトに橋をかけているアーティストが羨ましかった。ミュージシャンでも画家でも小説家でも。あんな風に、こんな風に、ただこの自分の奥にかたちを成さず存在しているそれに、かたちを与えられさえしたら!

 友人と話していても、その想いは大抵はつきまとった。何かが、喉や胸のあたりを邪魔して、曇った前頭葉は言葉を見つけることができない。

 もしかしたら「話すべきこと」を探していたからかもしれない、と思う。私の考えや思いを「ジョウシキ的」ではないからとジャッジして蓋をして、その場にふさわしい、相手との間で取り交わされるべきこと、を探していた。それもごくごく無意識に。


 無き者にされた本当の「わたし」は、拗ねてお隠れになった。

 そういう時間を、恐らく十の頃から、二十年近く過ごしてきた。

 もっと真っ直ぐに、下界とつながってこの二十年を過ごせたのならば、わたしの十代から二十代はずっと実りあるものになっていただろう。

 でも、その二十年が無駄だったことには、したくないし、ならないのだろう。飛躍するようだが、だからこうしてわたしはものを書いている。


 しっかり心の内を言葉で表現できるチェコ人の友人がいた。

 あらゆる欺瞞もユーモアでシニカルに笑い飛ばした。日本人の自殺と腹切りの精神の研究をしていた。

 彼に、どうしてあなたはそうして言葉がちゃんと出てくるの、と尋ねたことがあった。夏の休講した雨上がりのキャンパスだった。わたしは深い緑のギリシャ製の古着のTシャツを着て、彼は青いポロシャツを着ていた。わたしは21だった。

 彼は言った。

「本を読めばいいよ。そのうち回路が通じるようになる」

 それから実に10余年の歳月の間、わたしはその時を待っていた。時に半信半疑になりながら、もうそんなことないんじゃないかって半べそかきながら。それは彼に与えられた特権で、嘘つき!ってさえ思った。

 でもね、回路が、通じてきたんだよ。

 タイプするときも、人と喋るときも、わたしはわたしでいられるように、なった。人は再生するし、進化して良くなっていける。

 そういう希望を、わたしは誰より5年前の自分に届けたい。

 そして、同じ何かで水面下で葛藤する、同胞たちに。


 そう、何か心の全体的な正当防衛として、本当の心を隠して生活している人はたくさんいると思う。

 若い人にもたくさんいる。

 今これをタイプしているコーヒー屋さんの店員さんも、一生懸命さの中に「こうしなきゃ」がたくさん見え隠れする。仕事として、それは確かに必要で人を成長させる側面もある。だけれども、その人固有の何かを、そうした感じやすさを外界から守っている容器の中で、否定せずに育てていくこと。あなたの心のトマトの木に、内側で栄養をやり続けること。

 それを許すようにわたしたち大人は、自分よりも若い人に接していたい。教育にもそうあってほしい。家庭内などのインフォーマルな場でも、学校のフォーマルな場でも。


[本日のBGM:Yael Naim "Far Far]


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 思ったことを小出しにするのが苦手で、鬱蒼としてきた思考が表現手段を得ると、もつれてからまったのがどっと出てくるところがあります。

 風通し、もっとよくしたいなー!もっとちゃんと、届くべきところに届けたいなー!!

 ということで、3週間、note表現マラソンをします。

 毎日、何かしら書くよ。

 不完全さを自分に許しながら、書くよ。

 どうぞお付き合いください♡



…と書いたのが、2020年3月の初旬のこと。

 それから、書くことは私のほぼ日課になり、2カ月経ち5月の連休が明けようとしている今は、書かないとなんだか落ち着かない気持ちになるほどです。

 生まれて30年以上も経って、表現をする回路をとうとう開通させることができたことを、わたしはとても幸福に感じています。

 一方で、子どもが二人おり、外出・登校自粛になるなか、それを可能にする環境を整えられるか、は別の話だと感じています。

 自分の外側の環境もそうだし、内側の環境も、整えないとここに戻って来ることは難しい。


 発達障害(ADHD強めのASDグレーゾーン)があります。

 個性の一部ではある、けれど、メジャーなライフスタイルを送ろうとするとつまづきがち。

 そんな自分のような人が、心の中と、外の世界に橋をかけて、それを何らかの生業にするのが当たり前の社会になったなら。得意と苦手、時間という資産の多寡を人々が補い合って交換するのがジョーシキになったのなら。

 この世界は住みやすく、天国に近づくのではないか、と思っています。

 その一歩として、私はnoteを書いている。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。



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