「ドライブしようよ★」あなただけの安全な場所と腸内フローラ
一人の時間が欲しくてたまらなかった
ないない、苦しい、どうしてこれほどまでに!
と思っていたら、
焦がれて止まなかったのは
一人で好きな音に没頭する時間だった、
ということに気づいた
演劇のワークショップで
自分が安全だと感じる場所、
を出し合ったことがあった。
ファシリテーターのペギーは
私は車がどこよりも安全に感じる、と言った
雨露が凌げ、自分を捕らえる境遇からも
それは車輪とモーターで遠くに連れて行ってくれる、と。
そのプロダクションは
DVの女性の心に「No Such Thing As Solo」
一人じゃない、寄り添うよ、というメッセージを届けるものだった。
・
上の記事で、フワフワさせられたい、と書きました。
それは、今週、最終回を迎えたこの漫画がきっかけです。
人を動かす、
いや、聞いて思わず動きたくなる声について、この数日考えていました。
以前にも書いたのですが、腸内フローラという腸内細菌の分布について、善玉菌と悪玉菌はそれぞれ全体の1,2割しかおらず、日和見菌(ひよりみきん)という善悪のどちらか優勢な方につく菌が半数以上を占めているそうです。
われわれ大衆の多くは、美しき声に従いたいのだな、と。
それがその時の社会にとって相対的に善い声なのにしろ、悪い声なのにしろ
*
わたしは声フェチだ。
美しい音を発する人というのはいるもので、
それぞれ上の彼のようにカリスマ性を帯びていたり、
神がかってきっとそういうものの声を下ろしていたり、
性別を含むあらゆる属性を超えて人の心へ訴えかけたり、
鼻にかかった声で真実を感じさせたりする。
失望の縁にあっても人生の喜びを思い出させ、
トキメキというニンジンを鼻先に差し出し、
不思議な懐かしさと共に
わたしという存在を躍らせる。
そういうものに私は何にも邪魔されずに没頭したいのだ。
没頭して、その訴えかける意味の中心を掬い取り
その音を自分のものにしたい
そして、その場所として
車の中がとても安全で
通勤通学という半ば拘束されたその時間を
私はこよなく愛していた、
ということにようやく気づいた。
特に、おかーさんになってからは
子どもを送り届けてからのその絶対的に一人な時間が
自分にとって致命的に大事だった
・
地元の学校では
今週から分散登校が始まる。
通勤通学のルーティーンを
名誉おかーさんは切望している。
あなたの、安全な場所はどこですか?
*
お館様の声、聴いてみたいな
娘所蔵のキメツのコミック、時間をつくって読みたいな
(まだアニメ放送分に追いついていない)
*鬼滅の刃の画像はrenoteさんよりお借りしました。
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