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ADHDおかーさんが「家族の時間」をご機嫌で過ごすには

 おかーさんという役割を持つあなた、普段以上にお家に家族がいることになって、ちょっと大変じゃないですか?普段専業主婦の方も、兼業主婦の方も、何となく家事の負担増、独りの時間減で調子狂うな…と感じている方がいるのではないでしょうか?

 かくゆうわたしもその一人です。

 私はASD(広汎性発達障害)スペクトラムのグレーゾーンちょっと濃いめのところのにいて、ADHD的な特性が強く、それが「おかーさん」という役割が人生に加わったことでより日常的な困難に拍車をかけたという黒歴史があります。

 今はそういう既成の役割もろもろから自分を自由にしながら、おかーさんでも女性でもなく一人の人間として社会と関わり、奉仕できるようになるべく、ちょっとずつ歩んでいます。何よりそれには、自分がご機嫌で楽ちんでいる必要がある。おかーさんが笑っていれば、きりきりして完璧な家事の何倍もの価値がある。

 だから今日は、おかーさんという役割と日常の義務(と思っていたこと)に押しつぶされそうになっていた5年前の自分に書くつもりで、ADHD的な特性のあるおかーさんが楽でご機嫌になるために、試してみて効果があったものを書いてみます。中には今すぐやってみられないこともあるかもしれませんが、何かのお役に立てれば幸いです。

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1.ペアレントトレーニング

 ペアレントトレーニング・通称ペアトレは「発達障害やその傾向のある子どもを持つ親のためのトレーニング」です。「問題行動」に向きがちな親の注意を子どもの「良いところ」に向け、それを言葉で拾い上げて認めることによって強化し、親子の関係性を悪循環から善循環に転換していく、という考え方の元に行われます。

 わたしは縁あって(この縁が何かは直接聞いてね)この通称「ペアトレ」を地域の児童相談所で半年、受ける機会に恵まれました。

 トレーニングは10回ぐらいのステップになっていて、各回が「発達障害のある子の認知や行動特性」の座学→ある場面でどう対処するかや、日頃の行動を振り返る「実技」になっていたのですが、進めていくにあたって分かってきたのが「発達障害の特性を乗りこなせずに一番困ったちゃんで支援を必要としているのは子どもの方ではなく自分自身である」ということでした(笑。でも真剣に!)。

 これは多分ペアトレの趣旨からは若干ズレてしまうのですが、恐らく自分が総合して「イライラ」してしまうプロセスと、そこから子どもに実際に怒るなどの「行動」の間に、「衝動性」という手綱を握らなければいけないものがある。そして、「イライラ」のプロセスには何か感覚的な要因が介在していて、そこに介入することで何か光が見えそうな気がしました。

 また、「時間の感覚がつかみにくく、また見通しがつかないと不安を覚える子が多いので、時間割を絵入りのポスターにして可視化してみましょう」という回では、「そうなの!これが欲しかったの!」という心の声を聴いた思いがしました…。私にとって、分刻みの時間は自分の感覚とはそぐわないからとても強迫的です。何度も何度も時計を見返さないと、つかみ損ねてしまう。

 誰ですか、絶対的な時間なんていう概念を編み出したのは?太陽が昇って、空のてっぺんにあり、沈んだ、ぐらいのざっくりした感じでいいじゃないか!

2.発達障害について知ること

 何かおかしいな、おかーさんとして上手く機能せず、シャカイジンとしてもポンコツ(ええ認めますとも)なのには、何か訳がありそうだぞ、というのを子育てに躓いて受けたペアトレを通して嗅ぎつけたわたしは、翌年度、大学の単位履修生として発達障害の勉強をしました。

 これが!最高に助けになった!!「発達障害」と一口に言ってもその呈する様相はADHD的なものもアスペルガー的なものもあり、それらも重複することもあれば、それらと同時に別の感覚過敏の特性が表れることも多いこと――一年間の学びを通して、一気に、自分という人間のシャカイジン躓き人生の謎がほころんで、解けていく思いだった。

 自分の感覚、特に聴覚の過敏さが、家族のいる家での注意をものすごく散漫にし、彼らへの苛立ちへ強くつながっていたことに、わたしは10年もの間不覚なことに、無自覚だった。これをもっと早く知っていたら、AirPodsとホワイトノイズにもっと早く出会っていたら、わたしは家族ともっと早くずっと良い関係を築けていたかもしれない。

3.子どもの学校のスクールカウンセラー

 二次障害の緩解期にお世話になったのは、子どもの学校のスクールカウンセラーさんだ。学校から配布されるお便りで、心の育ちをテーマにした季節折々の文章を入学してからずっと拝見しており、一度お話したいと思っていたのを、長女が3年生になった昨年、ようやく勇気を出して予約した。

 もちろん、娘に現れている「問題」と思えたことについて当初は相談をしにいった。だけれど、話しているうちに娘の「問題」は家庭環境やわたしの心の不安定さの(色んな意味での)現れであることがわかってきた。カウンセラーさんは親御さんの心理のサポートが子どもの精神の安定につながるという大前提で、長女が幼い時に仕事と生活で精いっぱいでほとんど娘に構えなかったことへの悔恨から夫婦関係の愚痴までをわたしがぼろぼろと涙を流しながら話すのに、しっかりと耳を傾けてくれた。時にティッシュを差し出しながら、時に「それは実はこうなんじゃないですか」と新しいフレームを与えてくれながら。揺るぎなく。

 そして、それは数カ月おきにぽつ、ぽつと訪れたわたしの心を、一回一回、確実に軽くしてくれた。

 学校のスクールカウンセラーさんにお世話になるにあたって、全てのケースで親の心理状態が子どもの問題につながっている、という訳ではないと思う。そういう風に考えると、しんどくなってしまうもの。たまたまうちはそうであった、ということなのです。だけれども、親がどう生きるかが子どもに影響を与えることは事実で、それをカウンセラーさんは良くよく理解していらっしゃる。だから、おかーさん業を担っていて壁にぶつかったら、スクールカウンセラーさんはとても頼れる存在だった、少なくともわたしにとっては、という事例を、ここに挙げておきたいと思います。

4.ファミリー・ディスタンシング

 今、これを書くのはすごく酷なのだけれど。お家でも少し、意識できるかもしれない。わたしも、やってみる( •̀▿•́)و ̑̑

 この2020年1月~3月にかけて、わたしは一泊二日×3回、計まるまる6日間を家族から離れて過ごした。家族との距離を取る。ファミリー・ディスタンシング。わたしは10と5の子ども二人と夫の4人家族の兼業主婦です。週末、3泊6日家を空けるって、感覚的に「え?全然平気ーb^^」という人もいれば「えっ、ごはんとかどうするの…外食ばっかりになって出費もかさむし、子どもの世話、パパ放置じゃない…」という人も多かれ少なかれいるのでは。

 私はジャスト後者でした。めっちゃざわざわした。…でもだからこそ、旅に出た。受けたい講座を受けた。会いたい人に会った。3泊独りきりで過ごして、一人の空間と静寂を味わい、想像力と創作という旧友と再会した。 

 もちろん、交通費・宿泊費・受講費にはそれなりの予算を積んだ。その分の予算の諭吉さんをあらかじめ預金から引き出して、その重みを感じてみたら涙が出た。長女を預けて苦手な事務を必死にやって貯めた、でもちゃんと働いた20代のわたしのお金。涙が出た。

 それだけ思い切って振り切って、わたしは「おかーさん」を6日間、手放した。雇用先からの出張でもなく、「私を生きる」という仕事を優先させた。

 収穫は思いのほか大きかった。彼らは生きていけるのだ、わたしなしでも。だけれど彼らの生をよりよくしたいという希望を持って、おかーさんをするという選択肢をつど都度この私が選択して、そこのいる。おかーさんは私自身の選択だということが、身に染みて肚落ちした。50万円の学びの、これが実は一番大きかったんじゃないかと思う。

 

 「預ける・預けない」「働く・働かない」から、「一緒に暮らす・暮らさない」「私が育てる・育てない」まで、選択肢は海のようにある。その大海の中から、自分が自分の持つ「常識」や「価値観」をもって「おかーさんをやる」という選択肢をとっていることを、忘れないでおりたい。

 …と自戒しながら、今の外出自粛で休校という中では、何ができるんだろうな、と模索しています。生産性と対局の子どもとの時間に、この際一緒に没頭できたら良いのだけれど、仕事を進めたい。…いや、没頭するかしないかも、選択肢だし、要は切り替え…まだまだ頭カタいな自分、と突っ込みながらやり過ごす今日びのわたしです。

おわりに~子育てシェアという希望~

 本当は、おかーさん業はそんなに家族の中の一人が担う必要はないと思っています。子どもが放っておいても近所の子ども達と空き地や野原で遊ぶような環境や、子育てを子どもの生物学的または法律上の両親だけが独占せずにシェアできるようなコミュニティがあったらいいと想像している。だから、そこにたどりつけるような糸口を、ずっと、探しています。

 子育てシェア、withコロナちゃんの今とは逆行するようで、この社会状態の攪乱が落ち着くころには、かえってその輪郭が今より見えていそうな気もする。


 ここまで、限りある時間を割いて読んでくださり、どうもありがとうございます。

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 『時間の守護者』(仮題)という英書の翻訳を始めました。忘れもの・先伸ばし女王のわたしが、noteを今年になってからほぼ休みなく書き続け、はじめての翻訳出版を含めて自分を生きる旅を始める背中を強力に、押してくれた本です。

 みなさんの貴重な時間を創造性に繋げられるお手伝いができるよう、翻訳の途中経過も併せて公開していきます。ぜひ、読者登録・フォローして応援してくださいね。どうぞよろしくお願いします!

Satomi Scarlett こと 小畑 知未


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