創作と瞑想
わたしにとって書くことは、瞑想のようなものなんだろうなと、ふと気づく。
ことばを選ぶという意味では確かに頭を駆使しているのだけれど、
内側にあるものをよく照らして、ぴったりなことばが検索・ヒットするのを処理速度の遅い頭で待っている時間は
時折海面から顔を出す人魚との逢瀬を辛抱強く待つ人そのもので
その人は周囲の意見はどこ吹く風、根拠のない無駄なことだと言われても待つことを諦めない天空の城ラピュタを探すパズーのお父さんのような人で
きっとその人は子どものこころと忘れることなく共にある人なのだろう。
効率性と常識を超えた、その先へ
その先の途方もない許しや温かさや慈愛へと
人が皆そろって旅をしたら
人類皆兄弟姉妹、
兄弟愛のテーブルに着き(sitting on the table of brotherhood)
美味しいお茶ができるのにな。
イカれ帽子屋の用意したテーブルで
皿に載ったチェシャ猫を平気な顔で撫でながら。
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