ADHD当事者は「母親」ができるのか

(令和3年4月追記)

・ADHD・広汎性発達障害(PDD)もしくは自閉スペクトラム症(ASD)グレーゾーン当事者です。

・二人の娘を育てているうちに、長女の子育てでのつまづきから自分と長女がこれらのグレーゾーン(濃いめ)に位置することが分かってきました。

・由あって子どもは二人とも産休明けで預けてきた、ワーキングマザーであり兼業主婦。どちらかに集中すれば多分できたのが、両方あることによって、多分キャパオーバーしていたし、今もきっとそう。

・次女が1,2歳の頃、仕事から帰っての平日夕方ワンオペで訳が分からなくなり、キレてしまったところを近所の人が聞きつけ、虐待を疑った近所の方が「通報」くださった経験があります。

(実話です。どうしていいかわからず叫ぶしかなく、それを見ていた子供たちも泣いていたというシーンです…それほど困っていました。自分も支援が必要だというのに、パートナーも助け方を知らず、どうして子どもの支援に十分に手が回せるというのでしょう?そして、それを気に病んでいました。

どうか、ご自分にも特性があって、十分なケアと養育なく大人になって親になってしまった私のような方がいたら、どうぞまずはそれで仕方ない、と自分にOKしてあげて欲しいと思います…!それしか、致しようがないことを、どうして責められるでしょうか?)

・そこからつながった児童相談所主催のペアレントトレーニング(ペアトレ)を受講するうちに、自分の特性が支援可能であることが分かりました。

・そこから学びを深めるために、特別支援学校教員免許課程における「知的障害」にふくまれる「発達障害の理解と支援」「発達障害学校教育論(指導法)」「障害児教育総論」「応用行動分析学の基礎」「応用行動分析学の展開」等を、令和元年度~二年度の二年間、筑波大学の障害科学類の科目等履修生として学びました。

・これらにより、自己理解を深める中で、子どもの頃に「マジョリティ」の大人の言動で傷ついていた自己を発見し、癒している過程であり、

また、自分と同じような子どもが、傷ついて無駄に殻にこもることなく、のびのびと長所を伸ばすことで、社会に楽しく貢献してゆける場所をつくりたいと思い、noteを中心に詩や文章を執筆しています。

・自分や長女のように、自閉スペクトラムの濃いめのあたりにいる子どもへの声がけの方法を、上記の学びと、二人の娘の子育てから、実践しながら学んでいる途中です。


私と同じように特性を持ち、「シャカイジン」に適応できなくてしょんぼりしたり、「ちゃんとしたおかーさん」ができなくてカリカリ、がっかりしたり、自分には子どもは育てられるのだろうか、と思ってる方や、そんなパートナーがいらっしゃる方へ。

大丈夫です!

あなたはそのままで美しい。

原因は、あなたの特性に合わないようにつくられちゃってる現代社会の方です!!

共に、細やかで繊細な心を持ち続けながら、ほころびたところを大切に癒しながら、その善さを保ちながら、生きやすい場所をつくってゆきましょう。

しごとのかたちも、家族のかたちも、思いのままに、楽なように。
共に、助け合ってゆきましょう。


サークル「ADHDおかーさんの家出庵」改め
「うっかり女子・変わり者女子の極楽殿」を整備中です。今度は、もっと顔の見える、お互いに温かいコミュニティをつくりたい。五月の連休に開設予定です。noteまたはfacebookでアナウンスします。


さしあたって、この本は助けになります。
翻訳、R4年春には出版しますので、どうぞ見守ってやってください。

出版を手伝ってくださる既得な方(笑)も募集中です!


・特性があって「母親」になると、ジェンダー役割として期待されることが自分に向かず、苦しむ側面を、未だに目の当たりにし、日々ウンウンうなっています……!

・ちなみに令和3年度の今春は、次女の小学校入学があり、入学書類や準備物のこまごまで毎日パニック状態です。

「子どもの入学関係の雑務」は、ADHD特性のある母には無理ゲーの苦行でしかありません。(頭がひたすら混乱します!!!←涙。)

これを解決するサービスをもしご存知だったらどなたか教えてください。なければ産み出すのに力を貸します。コンサル&渉外しますので(得意分野)、一緒に社会貢献ビジネスしましょう!求む実務力。


さいごに・・・

楽ちんでクリエイティブに生きるADHDおかーさん&ASD女子
もしくはうっかりおかーさん&変わり者女子

のためのサービスや商品を開発したいです。

アイディアが豊富にありますw(ドヤ←)

お家・お助けグッズ・気分が上がるグッズ・ライフハック・書籍


共に、楽園を創りましょう♪


コンタクト:

just.as.it.is.24あっとgmail.com

まで。






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下記、元記事です。令和2年3月記。ずいぶん、抜けてきたなー!


昨晩、朦朧とした意識の床で、書かねばと書いた。

 私の意識が朦朧としていたのは、別に高熱が出ていた訳でも誰かに殴られた訳でもない。私は「一日中、子どもたち二人と家で過ごした」のだ。楽しくも喜怒哀楽豊かな時間を、家から出ることなく過ごした。結果としての、心地よくも途方もない疲労感。通常オペレーションで彼女達二人を預けて一人で働き、帰ってそこからワンオペ、よりも遥かなる疲労感。

 この疲労感の原因は何だ?

 私は、ADHD的な脳の特性が強い。検査も受けてみたら、やっぱりそれっぽい。それが障害かは日常生活に本人が困難を感じているかどうかであり、私の日常は埋もれた石に自らつまづいてくような笑っちゃうようなしょうもない徒労に満ちているので(効率的な在り方が良いなんて、誰が言った?)、やっぱり障害と言えるだろう。でも私のそれは息ができなくなっちゃったり生命の維持に支障がでるものではないので(でも忘れ物女王のわたしが今まで命を「落とさず」生きてるのは奇跡)、障害とみなすかの判断はほんとにグレーゾーンだと思う。

 さてね、そのADHD当事者で女性という性別の私が子育てという仕事をするにあたって、「向かないな」って思う瞬間が大変多いのですよ(笑) 少なくとも、現代の多くの日本人が共有しているかもしれない「理想のおかーさん像」のようなものをやると、罠だらけの山に入ってズタズタになった獣のようになる。…なったぜ!!(苦笑) あほじゃった!自分を知らなさ過ぎた10年前からつい最近までの自分!!!!

 でもね、私の性格だからこそ、子どもと一緒にいて楽しめる部分もめっちゃある。あくまで私の性格での例であって、この特性を大なり小なり共有するすべての人に当てはまるわけではないと思いますが、ADHD特性の何が子育てにおいて負担感となり、また希望になるのかを整理してみます。

1.子どもといると「目の前のこと」で精一杯になる

 同じ空間にいて感覚的に一番訴えているものに、場面場面で反応していくことが得意です。ただし、ある刺激(タスク①)に対応している間に次の刺激がやってきてそちらに対応し始める(タスク②)と、最初にやっていたことの存在をキレイさっぱり忘れて、その移動した先でタスク③を見つけてしまう。脳のどこかでタスク①のオペレーションは入っているので、その分RAMは食われている。タスク③をやっているうちにタスク④が目や耳に入ってきたりすると、もう何が何だか分からなくなってくる。PCでいうとオーバータスクでヴーーーーンってファンがなり始めてるあの感じ(笑)

 これね、一人で掃除をしていてもそうなの。

 そこに子どもが入ると、皆さんご想像がつくかと思います。片付け中に子どもが「ねぇママ◎◎がないの~」ときて、それを探していて見つける。見つけた先で、さっき起動したはずのルンバが止まってるのを発見し、ひっくり返すとローラーにめっちゃ色々絡まってることに気づき「掃除しなきゃ」とツールボックスから掃除用具を引っ張り出しルンバケアに没頭すること10分ぐらい。ルンバのスイッチを押して立ち上がるとルンバの届かないところに埃を見つけ、モップでかき出したい衝動に駆られる。あれ?モップどこに置いたっけ?モップを探して見つけた先の埃を掃除していたら子どもがやってきて「おなかすいた」…え?もうごはんの時間?料理を始め…(続く)

 うん?改めて書き出すと、子ども全然悪くないですよね(苦笑) 

 子どもといなくても家にいて家事しようとすると精いっぱいになってしまい、そこに二、三の子どもの刺激が追加されると飽和状態ではじけてしまう、ということみたいです。

1.を返すと【子どもと一緒になって盛り上がれる】

 目の前のことに全身全霊なのは、子どもも一緒です(笑) つまり、自らも子どもになり、子どもと一緒に目の前の遊びに夢中になれる!

 昨日はお雛様を飾るという目標をみんなで立てて、それに向けて娘たち二人の服とおもちゃのときめきお片付けをしました。お片付けがまー計画したように進まず(時間の見積もりが圧倒的に弱い)私の頭は終始クラクラしていましたが、お雛様を予定の6時間後に飾り始めた時の3人のテンションといったら凄まじかった!ふなっしー降臨。ヒャッハー!!!!


2.「子どもと一緒に・子どものため」を目指すと潰れる

 お母さんというものは、子どものために衣食住を整えて、子どものために習い事や進学のケアにとことんときあって、子どものために家族という形態を維持して…という固定観念、わたしたち現代人にまだまだ、共有されているような気がしています。それを妄信しているか、は別としても。それを目指すとしんどくなる女性は多いと思いますが、特にADHD特性があると輪をかけて辛い。(一方で、いつか書きたいと思っていますが、専業主婦は素晴らしい職業だと思う。その軸が「わたしという人間がやりたいから」である限り。)

 「理想のお母さん」をやろうとすると、何が辛いのか。

 私が子どもといて(もしくは家庭にいて)一杯一杯になって一番阻害されていると感じるのは、わたしの創造的な部分です。片付けも子育ても創造的、だけれどわたしにはやり遂げたい仕事がある。こうして女性として母として発達特性を持って生きてきて直面してきた困難や憂さを、私に似たような若い人が抱えず自由に生きていける世の中にしたい。何より自分自身が、憂き世でなく浮き世でウキウキ、がいい。

 そうしたクリエイティブな時間、自分とつながる時間は、断然一人がいい。今回、週末に計三泊一人になる機会を設けて、確信した。日常の些事に自分を放り込んだままにして、わたしを一人にする時間を設けないことは、損失だと思った。何が散漫な注意を更に散漫にするかというと、わたしの場合は音だ。子どもがキャイキャイいったり、ゲームやらの電子音が常に響いていると、注意は有無を言わさずそちらへ拡散する。だから今もイヤフォンをして「ねぇSiri、ヴォサノバを聞かせて」でSiriがかけてくれたそれを聴きながら、必死にシャットアウトを試みながらこれを書いている。目の前では長女が大好きなカービーのゲームをしている。

 (↑週末三泊、のバンジーを飛んだ経緯を書いています)


3.子どもはみんなで育てる、がいいね

 わたしはまだ、夫に任せるのを余計なこと言わずできるようになってきた程度だけれど、究極のところ、子どもをその血縁の両親だけが育てる、というのがナンセンスなんだと思う。子育ても教育もみんなでシェアしたらいい。肉親が学費相当額のお金を積めたり、本人が奨学金という多額のローンを抱えないと高等教育を受けられない、という制度はなんかおかしい。国家予算の使い方を工夫すれば高等教育まで無償化できることは、諸外国に先進例がある。「うちの子」も「人の子」も、みんなで得意をシェアして、ローテーョンで見れたらそれでいい。

 話がちょっと大きくなりましたが。


 4.「ADHD当事者は母親ができるのか」

――できます!

 ただ既存のやり方は性に合いません。空中分解します(笑) 自分にとって心地いいラインを模索しつづけ、自分の創造性の砦を守ってく必要がある。それには、自分の女性性・つまり感覚の部分に滋養を与えてく必要がある。

 でもそれはワークライフバランスを上手に取って日経WO●ANに乗っているようなキレキレのキラキラ女子を求める時代のメインストリームにはなってないから、今いる場でちょっと戦わねばならないかもしれない。あなたが、あなたらしくあるための戦い。毅然として、しかし華やかに、貴女に合った「理想の母像」をめがけて、前線を切り開いていく必要がある。イメージはプリキュア💛


 「わたし」は、どんなおかーさんになりたいのか。

 自宅学習・自宅待機可のこの機会に、もうちょっと試行と検証ができそうです(でも二日でけっこう限界突破しそう…orz)




*わたしのお仕事:

 私たちと時間との関係を変える本を、翻訳中です。



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