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【いのちのじかんを、自分の手に】社会不適応でうつだった発達障害当事者で母親業につまづいていたわたしが,マジョリティの価値観から離れた地に暮らして全うな自分を取り戻した話(前編)

この文章では、ひと月ほどの心の旅を通して俯瞰することのできた、「少し気が多いわたしなりに回ってきた道」について見えてきた、回り道するに至った社会との相互作用としての要因と、じゃあ、これからどこを歩いたらいいのか、見えてきたことを書きたいと思う。

自閉傾向とADHD傾向が社会と相互作用的に生み出す生きづらさに、「女性」というジェンダーの未だ包含する「母親」「妻」その他の役割が加わって、がんじがらめになっていた私へ、熱を込めて。スカーレット色の炎を燃やして、同胞と、その周りに居る人に届きますように。


第一章:何がわたしをつまづかせたか?

 「病んぢゃう」あるあるその①:遺伝的要素と家計的要素

わたしねぇ、親譲りの注意散漫(ADHD)かつ、自閉(ASD)的に深くものごとを捉えるある意味霊媒(HSP)体質で、子どもの時から損をしている。だったのです。(夏目先生!)

それは遺伝的でもあり、幼少期の愛情、もっと具体的に言うと注目と認められること等への飢えが、この数代に渡って家系的に両親とも連鎖していて、そういうものにも、がんじがらめじゃった。

 「病んぢゃう」あるあるその②:「なまじっかできちゃった」学業と「がんばってもできない」シャカイジン

だから、人から「褒められ」ることで必死に大人の関心を得ようとした子ども時代だったし、それが自分の尖っている部分でなまじっかできちゃったもんだから、自分は「やればできる」って思ってた。お利口さん。ミスチルの櫻井さんも歌ってる。

で 家に帰りゃ また おりこうさん
可憐な少女 演じてる

Everybody goes everybody fights
羞恥心のない 十代に水平チョップ
Everybody knows everybody wants そしてYes Yes Yes Yes
必死で生きてる

自由を求める本来の心と、自由を束縛する被せものの心――両者が引っ張り合いせめぎ合い、わたしはじぶんの真ん中に安心を見出すことがなかった。

一方で、「がんばってもできない」、つまり凸凹で言うと「凹」の部分があることは、ジェネラリスト的に平均的な能力を均等に求められることの多いザ・現代社会における「シャカイジン」という歯車として機能するには、どうあがいても欠陥品のようだった。(少なくとも私の経験した事務職等の職場では)

旅程表作成とか経理的なこととか、それこそ必死に!!追いつこうとするのだが、怠けているのではないかと疑われ、上司に叱責され、何でこんなに、自分はダメなんだろうと日々全崩れしてしまいそうな自尊心をどうにか支えるだけで精一杯じゃった。

思い出しただけで泣けてくる。過去の自分に花、手向けとこう。がんばったねぇ、私…!

 「病んぢゃう」あるあるその③※ゴールデンエクスプレスコース✨:現代社会の求める「母親業」「妻業」をちゃんとやろうとする(加えて「オツトメ」のトリプルパンチ)

その、心許ないユラユラの心の中で、結婚出産というライフイベントがやってきて、そこにコンベンショナルな、つまり従来型の概念での「家事・育児・妻業」が加わると、もう飽和状態のぱっつんぱっつんでねぇ…!本来、塗り絵の中で囲まれている一つ、ひとつの小さな区画を、時間をかけて気の済むまで塗りつぶすように、何事にも静かにゆっくりと取り組みたい性質をもつ【わたしという創造物】にとって、家事育児仕事家事育児仕事家事…(∞)が永遠に絶え間なく続く日々は、「神聖な母親業」という真綿でくるまれた引き綱に否応なく引かれ続ける水牛のようだった。

まったく、トリプルは、アイスクリームだけにしてほしいよねぇ…!(←チョコミント必須!!)まじまんじで無理ゲー,けろけろだったし、今もその受難と模索は続いている。続編こうご期待。↓家出したい人、どうぞ♪


第2章 クローゼットの中で、気づきがもたらされる

 「こんなわたしに誰がした?」

学生時代に社会学に出会えたことは、私の人生の福音だ。社会学は個人の問題をそれが生ずる土壌となる社会に帰して、紐解く。そして解いた糸の社会的に公正な編み直しを望む。教育社会学を土台に、一年の米国交換留学で取った「女性学」もその系譜だ。「ある家庭の寝台の上での問題は、社会のすべての寝台の問題に通じる」と自らもお腹に子を宿して教壇に立つ先生が強い眼差しで語ったのを鮮明に覚えている。

社会学とは「こんなわたしに誰がした?」と尋ねる学問である、と言ったのは、大学2年生の専門が分かれてからの概論担当の先生だった。そういえば、その先生は「地域における子育て支援」を専門にされていたなぁ。何か、頼ることもできたんじゃないか…そんなことも思いつかぬ位、脇目を振る余裕もない、わたしの11年間の子育て。

必死に追いつこうとして走り続けても、決して追いつくことも報われることもない社会。女性として、母親として、一人の人間として。


「こんなわたしに誰がした?」



こう、自分の置かれた状況に、疑問を呈してみる。少し、距離を置いて、客観的に。そして、少しずつ、気づいたのが、この1年ほどだった。



 なんか、おかしくないか?

罠にはめられたように制度やら常識やらに捕らわれ、傷つき、なおもがく自分がようやくたどり着いた解。

――わたしのせいじゃない。

 「あんたのせいだ。」

間違ってるんだよ
わかってないよ、あんたら人間も
本当も愛も世界も苦しさも人生もどうでもいいよ
正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ
考えたんだ あんたのせいだ
ヨルシカ「だから僕は音楽をやめた」


自分は、その時々を、必死に、知り得る限りの常識と良識と心と持ちうるエネルギーを総動員して、誠心誠意生きてきた。ちょっと抜けてる面もあったけれど、それなりに、やろうと、一瞬一瞬、自分なりに頑張ってきた。それでも報われない世の中は、にんげんたるものをこんなにしてしまう世の中は、世の中の方がわるいんじゃないか?――そう考えなくて、どうしてこれ以上生きていけるだろう?わたしも、世間の隅でひざを抱えている子どもも大人も、敢えてこんな社会とは隔絶して自分を保とうと全うなたたかいを続けているひとたちも。

***

ケッコンにしたって、そう。

何、この罠感?わたしのからだは、他でもない私の、天からの預かりものだ。他人の欲求や決まり事で、夫婦だからという一見もっともそうな理由で、夫という役割の人に、例え嫌でも提供するものじゃない。それを断ったからと言って、不機嫌や無関心という罰を食らう類のものでも、ない。

女というだけで、そしてわたしのように世間に適応できず心許ない心を抱えている隙をついて、電波中継基地みたいに干渉したり偶像を崇めたり慰みものにされる対象じゃない。

わたしは、人間としてひとと、つながりたいのだ。女だからとかじゃなく、それを超えて、わたしと世界を見てくれる人にこそ、側に居て欲しいのに。むしろそれを制限するケッコンや家庭なんて、もうごめんだ。


* + * + * +

第3章 診断名とお薬を、超えて

 「適応するための」薬が必要なのは、無理してるから

この夏、知人の知人を訪ねるようなかたちで、田舎やオルタナティブ(代替的)コミュニティーのようなものを、いくつか訪ねた。旅って、そういうものなのかもしれない。観光名所を巡るんじゃなく、会うべき人のところへ、運ばれて、会いに行くような。

自分では認識できていなかったが、今振り返ると心と体が飽和状態だった。上述の結婚生活だけでなく、地域がなく一身にかかる子育て、そして仕事、すべてがわたしの心の望むものと乖離していて、それは精神に常に撚りをかけた。――美しい織物が織れそうだね。…でも、撚り過ぎて擦り切れてしまったら、元も子もないんだ。

そんな中、この旅で、血縁ではない他人どうしで「与え合う」を当たり前の価値観に据えて、意識することなく助け合う人たちの輪を経験した。いや、与え合う、というのはちょっと正確じゃない。目の前に居る人に必要だと感じたことを「与える」のだ。見返りは期待しない。金銭を媒介しない。――それが相乗して、結果的に「与え合う」になっている。

 無理しなくったって、生きてていいし、生きる場所があるんだ。

中山間地域で、伝統的な人のつながりや農法や保存食などの知恵が残っている村へ連れられて、十日弱滞在した。おしゃべりしながら手仕事野良仕事をして、夜になったら暗くなって素泊まりの援農用の屋根裏部屋に引き上げる。周りを含めて照明は最低限だったから、早く眠り、朝はヒグラシや野鳥の声と、山から引いている生活用水の音で目を覚ました。


 過集中も飛躍する思考も、すべて愛の才能

コンビニもスーパーもない中、最低限のモノと限られた食料で暮らした。そんな普段から言ったら幾分かのサバイバル下において、自然からのいただきものを最大限活用し工夫して暮らすにあたって、私の「呆れるほど局所的な集中力」「既存のモノから必要な新しい何かを創り出す発想力」「手先の器用さ」はすべて恩恵で、何も困らなかった。都会で言ったら不便と名のつくことは皆、そうして攻略してゆくなかで自分が無駄じゃないことがわかり、そういう意味もあってすごく、楽しかった。

生まれ持った特性は、必ず生きる場所と、ときがある。それを頂いている。それは愛の才能だ。成長しないって約束、でいい。

 圏外という中断の恩寵を、あなたに

電波圏外のところも多く、余計な想念や些末な通信連絡からも解放される幸せも、体験した。われわれは、集中を削がれているに過ぎないのかもしれない。集中したいのに、集中できない環境に、わたしたちは自分自身を置き続けていないだろうか?

もちろん、それが必要な時期も、交互にやってくる。あれから数週間、かくゆうわたしも、ネットワークに接続していることで、三次元を渡り歩くための多大な恩恵を、受けている。

されど、独り居の必要性は、内側が豊かであればある程、そしてそれをこの世に表現する術が未熟で磨いている途上であればあるほど、必要のようだ。そういう仮説を、いま、検証している。

つまり、圏外はわたしの天国だ。そこでつながれないだろか?

 「お薬はヤメテモダイジョウブ」とからだは、云った。

そういう生活の中で、自信と何かの勘が取り戻されてきた。

山に泊まって五日目の朝、ここ一年ばかり「日常生活を円滑に」送るために処方してもらっていた向精神薬を、止めても大丈夫だな、と感じた。わたしのからだが、そう言っていた。

だから、止めることにした。そう、自分に許可を出した。

不安がなかったわけじゃない。それより以前、アクシデント的に急に断薬したことがあったのだが、副作用で頭痛や吐き気がものすごかったから、怖かった。けれど、今回は7月から減薬している過程でもあった。だから、その朝、リンドバーグの歌みたいに「ダイジョーブだよ」と自分に言い聞かせ、えいやっと、「薬を摂らない」という選択肢を、敢えて、取った。誰の許可を待つでもなく、自分の決断で。


それから三週間、薬が要ると思ったことは一度もない。


その影響か、忘れっぽさは絶好調(携帯を本気で一日に何度か、無くす。ぴえん)だけど、きっとそれはわたしの感性の対価か、徐々にそれももう少し違う方向性を見出すものなのだろう。

――わたしのからだに必要なものやそうでないものを、わたし以外の誰が私以上に分かるというのだろう?たとえそれが医学の権威だったとしても。


第4章 メインストリームな暮らしと価値観への同調圧力を、越えて


後編につづく💛

四日以内に、アップできるよう、がんばる!!



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