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僕たちは分かり合えない(秩序のない結婚観にドロップキック)

家族って、分かり合えないし、他人だ

ってことを前提に、いろいろセッティングした方が楽だよな、って心から思っている。

寝室は一緒にするとか、分譲住宅に住むか賃貸にするかとか、朝ごはんをパンやシリアルにするのかご飯にするかとか、子どもを主に看るのが女性なのか男性なのかとか、主となるたんぱく源が肉なのか魚介類なのかとか、そのなかでも豚を食べるとか食べないとか、酒を飲むとか飲まないとか。

そういうもろもろに片方の「常識」を持ち込んで、さも当然のように自分側に相手を合わせさせようとする行為や在り方は、もはや暴力。


下記の七海さんの記事を読んで強く思うのが、常識って人によって異なるものであり、それはパートナー間も例外ではない、ということ。


だけどなぜか、「結婚」で二人の他者を切り取ったとき、なぜか世間の「ジョーシキ」が津波のように覆いかぶさってきて、

「ジョーシキ」にハマっていくことを当然とする共通意識が、わたしたち人間社会の中で、未だしごく当然のように優遇されてる、っていうこと。

まぢ、旧石器時代!って思う。

生活スタイルも狩猟採集に戻っちまえ、何なら。
そしたらちっとはまともな頭になるだろう、と心から思う。



PS.

旧石器時代の常識:
結婚は一人の身体的・ジェンダー的男性と一人の身体的・ジェンダー的女性の間でのみ結ばれ得るものであり、性的活動はその間にのみ許容され、子どもはその「正式な」家族共同体という形態の中でのみ儲けられ育てられるものであり、それ以外の出産や出自は恥ずべきものであり、忌むべきものである。

 ↓ ↓ ↓

下記のように悔い改めたら?:
パートナーシップとは、成熟した二人の人間の間に結ばれるものであり、その間にコミュニケーションの形として性的活動が伴われることもあり、そうでないこともある。また、パートナーシップは両人の人生を通して継続することもあり、そうではなく流動的であることもあり、その形態は他でもなく両人の成熟の度合いによって選択的に、かつ両人の対話によって更新されるものである。子どもは周囲の大人がすべからく育てる。どのような子どもも人格も同様に尊く、尊重されてしかるべきである。

 そして、それが可能となる社会を、自分が大人って思ってる世代は、ちゃんとつくってかなきゃいけんと思う。



そんな大人なすかーれっとの今年の目標は恋柱(蜜璃ちゃん💛)です💛
(きゃー言っちゃった!!♡♡♡♡)

おばーちゃんになったら篤志家になりたい。


つまり、#この春やりたいこと は、桜餅を食べまくる、ってことです。

差し入れ、お待ちしてます!!!!(にっこり)


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