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わたしの初・富士登山

富士山に初めて登りました。
昨年8月に富士山マラソンを申し込んだ時に、日本一の富士山に登るには畏れ多い、相当な準備が必要と捉えており、登るものではなく眺めるものと思っていました。
ただ、登ることを決める際は、不思議と登れるかな?という不安のようなものありませんでした。とはいえ、富士山に登るのも、山小屋泊も、ご来光を拝むのも、3000m超で高山病対策が必要な登山も、13名パーティーでの登山も初めて尽くしでした。
振り返れば、長い道のりであり正直こんなにつまらない道中はなかったとさえ思います。ですが、登頂しご来光を目の当たりにした時は自分の中に何か不思議な感覚を覚え鳥肌が立ち、インスパイア受けまくりの体験でした。"今のわたし"にしか書けないことがあると思うため駆け巡った感覚を超長文になることを覚悟の上で記録に残します。


登るきっかけ

話は2021年12月に遡ります。コロナ禍で在宅勤務が増え、運動不足解消目的でジョギングをするようになり、多摩川沿いを走っていると定期的にマラソン大会をしていることがわかったため、試しに〜のつもりでハーフマラソンに申し込み走ったのです。学生時代も帰宅部で運動はしておらず、走り切れるのかなという不安もありましたが無事完走。それをきっかけにして翌4月にシューズ・時計を買い(課金し)、月100kmをコンスタントに走るように。
せっかくだから一度フルマラソンを走りたいと思い、初めてのフルということで景色を見ながら走れるということで11.29の富士山マラソンを選び、無事完走。翌月ランコミュニティに入った際にとある方から「来年富士五湖をまわるウルトラマラソン走るんですよ。どうですか?」と軽い感じで振られ、こういうのはノリだなと思い申し込み、翌4月に無事完走。ハーフ、フル、ウルトラと順調に?階段を登っているようでした。結果的に、半年の間に富士山の勇姿をこれでもかと眼にしたため、記憶に残っていたんだと思います。
そして、ほぼ同じタイミングでランコミュニティ派生の登山サークルで富士山企画があることを知り、「これは富士山に呼ばれてるな」と思い、行くことを決めたのがきっかけです。
登山は日帰りで行ける山を年に1,2回登ることはあり、富士山も登ってみたい山ではありましたが、ゼロから準備して登るハードルもあり、行くきっかけを探していた部分もあります。

また、コミュニティの皆さんの準備が素晴らしく、事前にオンラインで準備に関するmtgもあり、自分のことしか考える余裕がない私は何もできませんでしたが、準備は万端で当日を迎えることができました。

いざ頂へ

今回はサンシャインツアーにて、往復バス・山小屋泊・食事がセットンプランを申し込みました。
事前MTGを経て持っていったものです。

◆持ち物
◇45Lザック
◇登山靴:Salomonのシューズを新調
◇衣服:ドライレイヤー、アンダーアーマー長袖、半袖、着替(シャツ、パンツ、靴下)、帽子、サングラス、手袋、スパッツ、ウルトラライトダウン、ネックウォーマー
◇小物:帽子、サングラス、ポール、モバイルバッテリー、ヘッドライト
◇レインウェア:マムートのProshell
◇飲料:水1L,お茶500ml、ポカリ500ml
◇行動食:カロリーメイト、ようかん、どら焼き、クリーム玄米ブラン、ゼリー、1500kcalほど

7/23(日)6:11発の電車で新宿に向かい、都庁近くのバス乗り場から7:30発のバスにて富士スバルライン五合目へ向かいます。
事前に登山靴とは別の靴を用意した方がと聞いていたため、ビーチサンダルで。高山病対策には高地順応が良いらしく、10:20に五合目に着いてお昼を食べて着替えて登り始めたのは12:00。
日曜日にここにいるということは翌日の月曜日も休みを取る必要があるわけですが、それにしては人が多かったです。
特に海外観光客。弾丸登山禁止の看板もあり、ニュースで見た光景のまま。
登り始めのところの協力金1000円を支払い、スタンプを押していざスタート。
今回は計13名。うち一人は9歳というパーティーで。
六合目まではほぼ同じペースで登り、自然と3つに分かれて初日の目的地である本八号目の山小屋を目指しました。
私は先発組3名と一緒に向かい、前の3人のテンポが早かったものの、適度に休憩をとっていたため、良いペースメーカーでもありました。

下に見えるのが六合目
七合目の山小屋たち

14:30に七合目の日の出館、15:00に鳥居荘に到着。
鳥居荘の看板には富士山頂3.2km262分の表示が。262分4時間20分。ご来光を目指さなければ弾丸できなくはないのだろうなと改めて思いました。

また、富士山は全山小屋が有料トイレ・売店の役割も担っており、前週に登った塔ノ岳とは比べるまでもない充実ぶりでした。ほぼ30分に1つある感じ。トイレは五合目は100円であったが、6-8合目は200円、頂上に至っては300円。
売店の商品はさすがの山価格で、ペットボトルは1本500円、カップヌードルは1個600円。それ以外にもクリームパン、おにぎり、魚肉ソーセージ、たまごスープ、おしるこなんかが売っていました。お金さえかければ食料や飲料は現地調達も可能なほどでした。

売店メニュー

進んでいくと太陽は雲に隠れ、霧がかってきまして、それに伴い、空気の薄さを感じるようになり、意識的に口呼吸を心がけました。ダイビングもそうですが、呼吸を減らすと脳内に窒素が溜まるし、酸素が入っていかないので意識的に酸素を取り込むように。
また岩場も増えてきて、ストックが邪魔になることもあり、一歩一歩足場を確認しながら登る時間が続きます。下を向けばかなり下まで見えたため、踏み外したら、滑落したらと考えるとぞっとしたのを覚えています。
15:55太子館に到着。標高3020m。完全に雲の上でした。

太子館に到着
太子館からの景色:雲で何も見えない

ここまで休憩のたびに水分と行動食を口にしていました。低脂質・高カロリーな羊羹、どら焼き、きんつばと人にシェアすることを考えていなかったため、カントリーマァムやカリカリ梅なり色々シェアしてもらいました。(自分のことで必死だったと言い訳を...)
17:15初日の目的地の富士山ホテルへ到着。5時間ちょいで到着。
後ろのパーティーの場所を聞くと30分ほど後ろのようで、めちゃくちゃ冷えてきて我慢できず4人で中へ入り、早めの夕食をとることにしました。

ハンバーグカレー

レトルトでしたがハンバーグのおかげでボリュームがありめちゃくちゃ美味かった。食べてる最中に真ん中の組が到着。3時間ぶりの合流になんだか嬉しくなりました。

山小屋の部屋

早く着いた我々は先に山小屋へ。事前に聞いていた通り、簡素なものであり雑魚寝でした。寝袋が敷いてあるだけ〜と聞いていましたが、毛布が2つあったので防寒的には十分な気もしました。18:30には横になって目を瞑ったものの加湿器!?の音がうるさく何度も目が覚め、23:00過ぎにはぱっちり目が覚め横になって体を休めて0:50に起床。1:00に朝食?というか深夜食を胃袋に流し込む。
後発組とここで12時間ぶりに顔を合わせて互いの無事を労いつつ、寝れた?全然といった会話をした記憶です(頭は回っていなかったが)。前日とは異なり寒さ対策でウルトラライトダウンとレインウェアを着ています。
予定通り1:30に山小屋を出発?すでにご来光目的の登山客が列をなしており、ゆっくりと歩みを進めることになりました。ヘッドランプをつけての登山は初めてでしたが、みんながつけているためあたりは明るく暗闇を感じることは少なかったです。ただ、気づいたら仲間と離れてることもありその度不安を感じることもありました。あとは、この人数が頂上にいて大丈夫なん?と余計なことを気にしていました。

山小屋を出たあたりから撮った1:00の富士吉田市

2:39九合目に到着、3:30に山頂へ到着。山小屋を出て2時間で着いたことになります、登りながら思ったのは「え、山頂どこ?」だ。「もうすぐ山頂だね」「あ、山頂見えてきた」と言われましたが、頂に近づいてる感覚がなかったです。山頂に着いてからも神社があり売店があり自販機があり、想像の30倍くらい広い!集合し少し休憩してから「剣ヶ峰に向かいますか」という会話が。そこがどこなのか、どんな場所なのか、どのように向かうのかも見当がつかないまま後ろをついていくことに。気になるのは少し明るくなってきた空の色であり、「あれ、ご来光どこで見るん?」が気になる。登り慣れてる人がいたことで「この辺にしますか」との合図で一時待機。この時点で4:07。すでに空は明るくなっており、地平線を探す。ちょうど山中湖が光って見える。4:35日の出予定時刻に空はオレンジがかり、地平線だと思っていたのは雲海の境界線で赤い太陽が見えていました。ご来光を目の当たりにしたのは初めてで正月の初日の出ですら見たことがなかったので、太陽が持つ神々しさに息を呑みました。本当にただただ感動。

4:07の空
4:40の空
剣ヶ峰

いざ下山

その後は剣ヶ峰(最高地点)を目指し、お鉢巡り(火口を一周)へ。奥へ進めば進むほど富士山の山頂の広さに驚いた。冷静に考えれば遠くから見て、あれだけ山頂付近が平なわけだから当たり前なのだが、いざたどり着いてみて火口の大きさに驚いた。剣ヶ峰も無事タッチしていざ帰路へ。
帰路はひたすら下る。ただひたすらに。砂滑りとはこう言うことかと思いましたし、何度か転びましたが、およそ3時間30分でゴール。登りほど差はつかず、みんなでゴールできたのは良い思い出でした。

ヤマレコログ

なお、11:00には五合目について12:00のバスで五合目を後にしました。その後、バスツアーのセットになっている富士宮の花の湯へ90分かけて移動し、お風呂と食事を済ませ、こちらもセットとなる富士浅間退社に立ち寄り、18:50頃新宿西口に到着しました。ツアーの流れに記載はありましたが詳細を確認しておらず、登り終わって早くお風呂に入りたいと思っていたものの90分バスに揺られたのは中々衝撃でした笑
自前ですべてを手配するよりも手間はなかったのですが、工程表は家に着くまでをきちんと確認するべきだったなと反省があります。

登ってみて

前述の通り、富士山はいつか登れたらいいなではあったものの登る予定はなく、知り合いが「登ったよ」という知らせを見るたび「すごいなぁ」なんて思っていましたが、いざ登頂してみて「あぁ、あの場所に自分の足でたどり着いたんだな」と思います。普段の登山よりも登頂の達成感は格別でした。
普段から運動していたこともあり登る難易度そのものは高くありませんでしたが、ハイキング気分で行くと痛い目にあうと思います。
7合目を超えた時点で酸素の薄さを感じたので高山病の気配はあったものと思いますが、軽くボーッとする感じで済んで良かったです。パーティーの中には山頂付近で具合が悪くなった人もおり、降りてからは体調が戻ったものの、高山病の恐ろしさを目の当たりにしました。
また、道中自体は変化も少なく、楽しいものではありませんが、そんな変化のない道中でいろんな想いが駆け巡り、期待と不安に向き合いながら、頭の中で流れる事柄がたくさんありました。そんなこと考えながら登ってたんかい!という自分へのツッコミはありますが、インスパイアたちを以下につづります。

インスパイアたち

インスパイア①登山と遊び

歴史学者のヨハン・ホイジンガが「ホモ・ルーデンス」遊ぶ人という概念を20世紀前半に提唱しました。これを発展させたのが社会学者のロジェ・カイヨワ。1958年に発表した『遊びと人間』で遊びを意志⇔脱意志、ルール⇔脱ルールの2軸で捉え、遊びを4つの類型にまとめました。

カイヨワの遊びの4類型

で、今回富士山を登りながら、「あれ、4つの要素全部入ってる究極の遊びじゃね?」と思ったのです。競争、模擬、運試し、めまい。若干のこじつけ感はありますが、それぞれに当てはめると「競争:自分の内臓と肉体に不調をきたさず頂に辿り着けるか」「模擬・ものまね:他者の足運びを観察し思考体力を削らずいかに真似できるか」「運試し:天候をいかに味方にし酷暑に遭遇せず、山頂でのご来光に巡り会えるか」「めまい:足をすべらせず、滑落したら終わりというスリル」
道そのものは面白いものではないと書きましたが、削られるHPと自分でコントロールできない要素もあり、途中からゲーム感を感じ、カイヨワを思い出しました。
道そのものの面白さは自分で工夫しようがありませんが捉え方一つで面白さは増すのかなと。

インスパイア②登山におけるパーティー

登山用語でいっしょに山登りを行う仲間やグループのことをパーティーと呼びます。パーティーでの登山は前週の塔ノ岳が初めてで富士山が2回目であり、改めてその特異さを感じました。
というのも、登山は自分の足で向かうもの。言ってみれば個人競技。にも関わらず、パーティー、チームの意味は何なんだろうと。

万が一のことがあったときに自分を気にかけてくれる存在、他愛もない会話をする相手、お互いの位置を確認することで一体感を感じる存在、ペースや休憩の時間などを合わせる存在などいくつか思い当たります。

何かを与える存在、与えてもらう存在としてのパーティー、チームという側面もありますが、明示された役割や義務があるわけではありません。
そうなると都度変化する状況を捉えて互いに心を配る形でパーティーやチームに貢献するような意味がある気がしました。(塔ノ岳でも富士山でもパーティ登山では心を配る側ではなく、配られる側に大部分回ってまったのは余裕がなかったのもありますが心残りであり、次に繋げたいと思います)
意識的に"何かできることはないか"センサーを働かせ、自分の存在を相手に知らせる。そんなことを互いにやっていました。
言い換えれば、「見える場所に仲間がいる」「あそこの場所に行けば必ずいる。待っててくれている」「"私がここにいる"ことを認識してもらえている」こういった感覚を仲間の存在によって感じることができました。何かを与えて欲しいとも思っていませんでしたが、存在の認知はしてほしかったと感じたのです。前に後ろに誰かの存在を感じなくなるのが寂しい心細い感覚。ダイビングのバディに近いかもしれません。自分が先んじて前を行くこともありましたが、それでも見えないロープで繋がっているような連帯感・一体感を感じました。互いに応援し合う存在であり、引っ張り引っ張られる関係。
さらに飛躍しますが、これってシェアードリーダーシップなのでは?と浮かびました。今回の企画のリーダーはいましたがボスではありません。互いが"自分にして欲しいこと"(もう少し休憩したいとか)を自ら発信し、それをキャッチする。意識したわけではないのにこうなったのは個人の高い自律性が前提にはありますが、環境によってアフォーダンスされた部分もある気がします。「あれ、xxさんどこ?」的な会話の頻度があれほど多い時間はなかった気もするのです。
シャバで再現するには構造化できていませんが、あの前に後ろにもいる安心感を味わえたことはとても尊いことだと感じた体験でした。

インスパイア③登山と解像度

前述の通り、富士山の周りをこの1年で2回も走り、富士山の勇姿をいろんな角度で、冬・春二つの季節で眺める機会がありました。独立峰ゆえのきれいな稜線は見事で走りながら何度も見惚れていました。
ただし、登ってみると岩場だらけで赤土のところもあったり、火山特有の砂場もありました。

赤土かつ岩場

登頂したらしたで壮大さは感じたものの、頂上そのものを美しいという感覚には思えませんでした。

富士山山頂の火口

美しいと私が思ったのは、頂上そのものではなく頂上から見る景色です。ここで一つの疑問が浮かびます。なぜ遠くから見た際に感じた美しさが、近づくと美しさを感じなくなるのかと。そう言うものと言ってしまえばそれまでですが、モザイクアートを連想しました。たくさんの写真などを組み合わせて一つの絵として完成させるアートです。いずれも解像度を上げると見えるものが変わる性質があります。
飛躍しますが、"解像度"というものは低いことによって対象の構造や深さや広さが掴めない事態に陥るため、一般的には"解像度を上げる"という表現を使います。が、しかし、富士山しかりモザイクアートしかり、解像度を上げると美しさは見えてきません。対象の全体像が見えるところまで距離をとることで、荒さがとれたきれいな稜線が姿をのぞかせます。
果たして、自分は解像度高く富士山を捉えていたら、富士山そのものを美しいと捉えていたんだろうか?と。遠くから見える富士山の姿に畏敬の念を抱き、そこから見える景色には想いを馳せましたが...そう考えると、対象を解像度高く見ることは良い面はたくんあるものの、"きれいではない現実"を目の当たりにすることもあるんだなと思いました。解像度が低いことによる良さもあるんだなと。

インスパイア④登りたい山がある

富士山は「いつか登ってみたい山」でした。「登りたい山/登ってみたい山」が私の中にあったということです。登りながらも「登頂に着きたい、登りきりたい」という欲が湧いてきました。一方で登り始めると山頂までどれくらいの距離・時間がかかるのか見当もつきません。きつさもわからないため、体力の温存具合・消耗具合もわからない。さらには山頂が見えない=ゴール地点がはっきりしてるのに目には見えない状態です。辿り着くはずなんですが、本当に着くんだろうか?という不安もよぎります。ただ、登り始めると辛い苦しいことはあっても弱音を吐いたとて、労ってくれる仲間はいても、自分の足で歩みを進める必要があります。誰かが代わりに自分を運んでくれるわけでもないですし、自分の代わりに山頂に行ってきて!とかそういうものではありません。一緒にいるのに一人であり孤独な道のりであり、行くと決めた自分の覚悟を胸にゆっくりでも前に進む必要があります。さらには登り切ってもそこがゴール=終わりではありません。無事に怪我なく下山してくるまでが登山です。
で、煩悩だらけの自分は登りながら考えるわけです。「仕事で、キャリアで登りたい山はあるのか?」と。キャリアに関するメタファーで筏下りと山登りというものがあります。自らオールを持ち環境変化に直面しながら流れに乗りつつ振り落とされず下り切るのが筏下り。あそこを目指したい!と決めて登るのが山登りです。「やりたいことなんて、登りない山なんて、ないよ」という人に対して筏下りというキャリアの歩み方がわかると「ちょっと流れに乗ってみるか」という考え方ができるというものです。(キャリア・ドリフトともいいます)
何が言いたいかというと、「登りたい山がある」と言うこと自体がとても幸せなことなのではないかということです。全員が山登りすべきと言うわけではありませんが、「自らの足で険しい道を登る覚悟ができる山」というのはそうそうありません。富士山の場合、ふらっとハイキング気分で登る弾丸登山客もいますが、安全に登るにはそこそこの準備が必要です。そして、自らの足で登った人にしか見れない景色感じることのできない感覚があります。ここも仕事やキャリアに似ており、体験価値として強く感じたことでした。「期待と不安を感じながらも覚悟を決めれる登りたい山を持つ」ことは尊いなと。もちろんこだわりすぎるのもよくないですが、湧き上がる欲求や突き動かされるものがないと、あの道中を登るのは高山病もあり辛く苦しいだけになります。応援し合える仲間と登る山。そんな山を登る経験をできたことは「そういう体験をまたしてみたい」と思えるきっかけになりそうでした。
今のわたしの仕事は探索期的な感覚で、色々小さく動きながら芽が出そうなところにリソースを割くタイミングであり、意図的に筏下りしている感覚もあります。

最後に

「ここでしか見れない景色を見たい」という欲求、「辿り着きたい場所に行きたい」という欲求が自分にあることを再認識しました。見たい景色を見る、行きたい場所に行くという純粋な動機を富士山を登ることで感じれたことをありがたく思います。
また、本noteに"わたしの"と付けたのには理由があります。富士登山する方はたくさんいますが、今のわたしにしか見れなかった景色・感じれなかった感覚が確かにある!と思えました。富士登山という貴重な体験はもちろんですが、変わり映えしづらい日常だとしても"わたしの体験・わたしの感覚"を大事にしたいなと改めて感じることができた体験でした。

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