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ツユ『過去に囚われている』のMVを観る

ひと目見て、めちゃくちゃ語れるわこれと思ったので語ります。

▼全体構成

セーラー服を纏った少女を主人公としたMV。主人公の少女(黒)は今に絶望していて、栄光を手にしていた過去の自分(白)と比べてしまう……という構成。表主人公(黒/現在)と裏主人公(白/過去)の対比が大きなテーマとなっている。全体として歌詞を丁寧に回収したMVで、水たまり、あくび、飛行機など歌詞の具体的な場面がMVに落とし込まれているのも特徴。

▼色

全体としてグラデーションを持たないフラットな配色で、色数はかなり絞られている。ベースとなるのは鮮やかな黄色と黒、および白で、そこにアクセントカラーとして青(水色)が加えられている。今を生きる表の主人公は黒と黄色で描かれ、過去を象徴する裏の主人公は白と黒で表現されている。水色はセーラー服のスカーフに使われていて、これが表と裏で変化しないことで両者の連続性を感じさせている(水色、黄色にも黒にも白にも映える)。
さりげないが印象的に使われているアクセントカラーが「」。具体的には教室から鏡に向かうシーンの通路の窓(0:21)、その後の暗転の直前と、スポットライトが点灯する瞬間(0:28)などで一瞬だけ用いられている。情報量を増やしインパクトを残す手法として普通なら白飛びや暗転を使うところだが、そこでそれまで封印していた「赤」という色を発動することで見る人に強い印象を与えている。これは面白い表現!!人間はよく触れる情報ほど馴化されるため、黒や白が多用されるこのMVでは暗転や白飛びの効果はやや薄い。そこで、警戒色と並んで人間の注意を引く「赤」がいっそう効いてくるのだ。
もうひとつ、このMVでは印刷的な手法がいくつか使われていて興味深い。例えば、いくつかの影はスクリーントーンのような点の集合や線の並びで表されていて、これはCG的な陰影表現を印刷的なものに翻訳していると言える。また、0:28からのダンスシーンではスポットライトに赤や青の色収差が見られる。MVの随所に見られるこの色収差(色ズレ)はアメコミなどで印刷の際に起こる現象で、これもスクリーントーン同様CGによる疑似印刷表現と言える。このあたりは2018年のアニメ映画『スパイダーマン: スパイダーバース』などで印象的に使われていたのが記憶に新しい(スパイダーバースも印刷表現を映像に持ち込んだ挑戦的な作品だった)。いずれにせよ「真っ黒/真っ白を対比する」という今回のテーマ(色味の二値化)はこのような印刷表現と相性が良く、全体通してこれらの表現が違和感なく調和している。
そういえば、黄色と黒という組み合わせはスポンサーであるマウスコンピューターのブランドカラーでもあるので、抜け目ない

▼画面圧

「画面圧」は私が作った言葉で、時間あたりの画面の情報量の変化を表す言葉だ。短時間に一気に画面が更新されたら「画面圧が高い」と言える。
このMVは画面圧の制御が本当に上手い。MVは音楽とリンクする映像作品であるため、音圧の変化に画面圧を同期させると気持ちのいい視聴体験になるのだ。
例えば0:28(「雨が降ったあとの香り」~)からのダンスパート。直前まで画面は暗転しているのだが、「ジャン!」と鳴るピアノとギターを合図にスポットライトが点灯し、画面が一気に明るくなる。まさに音圧の変化と画面圧の変化を同期させていると言える。そして直後に曲のほうは短い静寂に入るため、映像もカメラがゆっくり引いて主人公がポーズを取る、という静的な画面に移り変わる。このように、音と画面の情報量をリンクさせることで気持ちのいい映像体験を作り出してるのだ。このダンスパートの音をよく聴くと、後半には前半にないピアノの音が追加され、より音の情報量が増し華やかになっている。映像の情報量もそれに合わせて増加していて、スポットライトの数は2つになり、主人公の動きも増え、カメラも大回しになっているのがわかる。その後の0:56~(「あの時は遠いあの時は」~)は転じて穏やかな音になっているため、画面の時間あたり変化量も少ない演出が使われている。具体的には黒い水中のシーンから徐々にフェードインして部屋のベッドのシーンに変化するが、フェードを使うことで時間あたりの情報量を抑え、音と足並みを揃えているのだ。
そしてサビ。サビは先程のダンスパートと異なり音圧は常に高いため、映像のほうも常に情報を更新し画面圧を高く保つ必要がある。そのためにサビで一気に画面いっぱいの主人公を打ち出し、その後も怒涛のように表/裏のカットを織り交ぜていく。カットが切り替わる際にスポットライトの形をしたワイプが使われていて、変化の仕方に統一感を出しているのも面白い(サビ前半)。
画面圧の話はしてるとキリがないのでこのへんで終わりにする。

▼音と映像のリンク

画面圧の話以外での音と映像の連動を見ていく。
初見で印象的だったのは、まずサビ最初のカット。歌詞では「人生」と力強く歌われていてるのだが、「人」の時点では主人公のスカート以下が映されていて、「生」に入ると同時にカメラが顔までパンする。そしてその表情の口元が「(人)生」という言葉を叫ぶ歌声とリンクしているのだ。これにはゾワゾワした。それまで歌声とは別の次元で動いていた主人公が、その壁を破り一気に自分の眼の前に現れたような錯覚がある。「人生」をそのまま口パクするわけではなく、歌詞を追いかけるように叫んでいる姿が重なることで予想外の驚きが生まれている。また、この「人生」の「人」は音楽的には弱起(アウフタクト)にあたり、要はサビに入る前の踏ん張りである。そのため「人」の時点で脚を映し「生」で一気に顔にパンするのには映像的な必然的もあるのだ。気持ちいい演出。
もうひとつ気持ちよかったのは1:17(「君も地位もすべて失った今だ」)からのスポットライトのシーン。暗転の画面から真っ白な背景に移行するが、カメラが引くと実はその白背景がスポットライトの集まりであることがわかり、バスドラムの連打に合わせてスポットライトがひとつずつ消灯して、最後のひとつが消えると同時に画面が真っ暗になる……という演出。このシーンはまずスポットライトのモーションが本当に気持ちいい。現実世界におけるライトのオン/オフというのは単純な明度のオン/オフがあるのみだが、この映像では図形的な変化を伴って戯画的に消灯が表現されている。たとえば、最後のひとつ以外のスポットライトの消え方をよく見ると、その幅が少し広がってから一気に狭まって消える、という動きをとっているのがわかる。これは現実の消灯の動きからは逸脱した、いわば「空想的な消灯」の動きだが、それによって音と連動したメリハリのある映像が生まれている。そして最後の消灯。今度はじわじわと狭まっていき、バスドラムの音と同時に一気に閉じる。こちらで注目すべきはその思い切りのいい暗転である。曲のほうはバスドラムと同時に0.5秒ほど完全な無音に入るのだが、その無音と画面の暗転が見事にリンクしているのだ。音の情報量がゼロになると同時に画面の情報量もゼロにしているわけである。画面の情報量がゼロになった対比をわかりやすくするために、無音になる直前まで画面全体に小さなキラキラが散らしてある。これによって暗転したときの「黒」が際立つ仕組みになっているのだ。

▼音楽表現と映像表現の連動

前の項よりもう少し音楽に寄って映像を見てみる。このMVは音楽表現の持つ特性を繊細に汲み取って映像化している。
まず出だしのAメロのコードは「EM7→Gaug→E♭m→A♭m(ⅣM7→♭Ⅵaug→Ⅲm→Ⅵm)」なのだが、ギターを聴くとトップノートが半音ずつなめらかに下がるボイシングになっている。この部分の映像を見ると、下降するコードに合わせるようにカメラも上から下へ、大きな長回しで流れるように動いていて、音楽と映像の足並みが綺麗に揃っているのだ。またその後の「(立ち止まって何になるん)だ」の部分のコードはF#/F(Ⅴ/♭Ⅴ)。スケール外のルートを持つこのコードは明るさと不穏さの二面性を持っている。この場面で鏡に対峙した主人公の不穏な表情を描くのも、音楽とぴったりリンクしていると言える。何より素晴らしいのは飛んで2:47の同じく「(立ち止まって何になるん)だ」の部分。ここで鳴っているコードはC#M7(ⅡM7)で、スケール外の音が2つ含まれる不安定な音だ。そこにちょうど割れたガラスを持ってくることで音楽的な不安感を視覚的に最大化している。そこに至るまでのコード進行は1番とほぼ同じであるため、このシーンで冒頭の映像との決定的な差を見せつけるのは構造としても美しい。

▼主人公の対比構造

この映像では現在の主人公(黒)と過去の主人公(白)が対比されているが、それ以外にも対比を示す表現が織り込まれている。
まずわかりやすいのがである。鏡のモチーフはMV全体を通して登場し、主人公の持つ二面性を視覚的に表現する手段として効果的に用いられている。主人公は鏡の中に過去の自分(白)を見い出しているが、2:08でその鏡を破壊し過去の自分と決別する(ヤケクソになっただけかも)。また、歌詞にある「水たまり」を映像で鏡として用いているのも素晴らしい(1:35〜「今 水たまりに映って」~)。これは深読みだが「かがみ」には「手本/模範」のような意味もあり(「人間のかがみ」)、鏡の中に理想の自分を見出すのにも必然性があると言える。
もうひとつ、印象的な対比が「上下関係」である。映像全体を通して、「上」が「過去の自分(白)」、「下」が「現在の自分(黒)」という構造で描かれている。たとえば、ダンスシーンの終わり、0:48〜から。スポットライトのもとでしか白く輝けない主人公が自分から離れていったスポットライトを追いかけるが、そのまま足元から水中に落ちてしまう。そして落ちた先は現実世界、つまり現在の主人公なのである。飛んで2:00のカットでは黒主人公が遠くで小さく光るスポットライトを下から見上げているが、このカットはまさに先程のカットと繋がっている。落ちた主人公が過去の栄光に囚われ、今や遠くなってしまったスポットライトを見上げているのだ。「上」が過去の栄光を表現しているからこそ、現在の主人公は「飛行機」「雲」「電線」など一貫して上を向いている(黒主人公が下を見るのは鏡である「水たまり」の一回のみ)。3:03で飛行機のカットに水中の表現が交わるのは、現実世界と心象風景を重ねたものだろう。
上下関係を象徴的に描く装置として忘れてはいけないのがエレベーターだ。2:17から、エレベーターに乗った白の主人公が急速に落ちていき、最後には黒になってしまう。位置関係と主人公の連関をもっとも象徴的に表したカットで、表示される「00」階は空っぽの象徴である。
最終的に主人公は上を見るのをやめ、「砂浜」に立ち、「広い海原」を走ることで雲を追いかける。
(余談ながら、上下関係を栄光と転落の象徴として使う手法は2019年の映画『パラサイト』でも効果的に用いられていた。あの映画でも主人公一家は常に上ばかり見ていて(wi-fiを探すシーンとか)、転落するときは階段を駆け下りていた。)

▼シーンの対比

2:17から、エレベーターを「00」階まで降りた主人公は「空っぽ」になってしまうが、その直後のカット(「今 私は息を吸っている」~)で空っぽになった主人公が表現されている。ここでは最初の映像とほとんど同じ映像が流れるが、そこに主人公だけがいないのである。自分を失い、周りに合わせるだけの生活を送っていた主人公は文字通り「空気」になってしまった……ということを同じ映像を使い回すことで表現する、という大胆なアイデア。

▼モーションと表情

3DCGについては素人なので多くは語れないが、0:28〜のダンスパートのモーションの軽やかさにホントに泣きそうになった。ちょっと泣いた。クレジット見るとダンスアクターを入れているらしいが、この繊細で重力を感じる動きをキャラクターアニメーションで表現できるのは本当に凄い。そしてキャラクターの表情も本当に豊かでいちいち刺さる。好きな表情はいくらでもあって、最初のサビの叫んでる顔とか片目閉じてる顔とかも好きだけど一番刺さったのは2:07あたりの流し目でこちらを見る表情。死ぬ。死んだ。

▼キャラデザ

セーラー服ぱっつん黒髪ショート、最高~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!最高最高最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!さらっと泣きぼくろあるのも性癖。はぁ好き。

おわります。

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