見出し画像

石田桃香×上野勇写真展 「愛しい瞬間(とき)」(続)

再訪、再々訪で追記しようと思ったが、連日見に行っていたので別立てにしてみる。

石田桃香の撮られる人としての歴史を時系列で振り返る構成なので、仕掛けなどはなく、B0に大伸ばしにされた作品も、視界の開けた引いて見やすい場所に展示されている。

中央部には購入用紙を記入するための机などが置かれてはいるが、広く空けられており、話し込む人が居ても写真の前には滞留しにくく、混んでいても写真と向き合う事を阻害するものが無い。
また、空いている時間帯は真ん中に立って全体を見回すことも出来る。
何と言うか、「ほっとする空間」。

カメラの前で隙を見せない、「見せる自分」と「見せない自分」を分けていたようなキャリア初期は、カメラと正対しているカットが多い。

それがカメラに横顔を晒せるようになり、目を閉じたカットでも強張らなくなってくる。

見る度に、何かしら発見があり、気付かなかったものが見えてくる。
好きな写真が増えて行き、飽きない。

画像1

前述した、直近撮影分 #45が飾られたちょうど裏側にある 、最初期撮影分のB0作品。

青空をバックに、ひまわりの花を顔の前にかざした、「くちびるつんと尖らせて」「何かたくらむ」横顔をウエストアップで撮った #04 も初々しくて良い。
水着でも後ろから撮ったカットがもそうなのだけれど、コンプレックスにも美点にも成り得る身体的特徴の描き出しは、抑制的に。

B0で大伸ばしになった #10 のアクセントになっている、パーカーの袖から覗く小指の爪。
爪半月が見えて、綺麗に整えてはいるけれど塗ったり載せたりはしていないのが分かる。

撮る度に磨かれて行くのだけれど、直近の撮影分を見ても根本は変わらないのが爪にも表れている。 生成りの良さは、失っていない。

画像2

エントランス前にある、最初のグラビア撮影の時の4カットと、直近の撮影の1カット。
全て見終えて、過程を経ての変化であることを体感してからから向き合うと、意味が変わって来る。
出発点と到達点。 変わったところもあり、変わらぬところもある。

石田桃香を、嫌いになって帰る人は、おそらく居ない。
温かく、心地よい写真展だった。

画像3

(2021.10.10 記)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?