ベクアステラ 天乃さや生誕祭「Spica」
午後、早めに吉祥寺へ。 一と駅手前で降りて時間潰しに寄った台風一過の井の頭公園は夏の名残り。
つくつく法師が行く夏を惜しむように歌う。
club SEATA は吉祥寺の北口の大通り沿い、ヨドバシカメラの先の地下。
天井に極太の梁が横に二本入っているが、柱は無いので見通しは悪くない。
箱が大きいので間隔を開けて立ったとしてもどこからでも見られるので、客の側の切迫感もゆるめ。
我先にとはならず、じわじわと埋まって行く。
定時に開演。新衣装の上から生誕Tシャツ。
このTシャツにも天乃さやの拘りは詰まっていて、胸ポケットのあるデザイン。
ここにメンバーそれぞれのアクセサリーキーホルダーを付けていた。
ベクアステラの持ち歌だけでなくカバーも数曲。
アイドルの生誕イベントなどで借り物の曲を演る場合、賑やかしのカラオケ大会に堕してしまう事がままあるが、そこはそれ、天乃の拘り、アイドル職人としての意気地。
きっちり「金の取れる見世物」の域にまで高めていた。
持ち歌の場合、「揃えるレッスン」をきっちりやっているので目立たないが、カバーで披露する曲は「それぞれの動きや歌い方の癖」が分かり易く出る。
早瀬さくらの軽やかさ、五十嵐マイの安定感、紬麦みほの角の取れた力強さ、天乃さやのシームレスな動き。
それぞれがそれぞれの美点と欠点を把握していて、良い所は伸ばし悪い所は直しつつあるのだけれど、悪い所に拘り過ぎ矯め過ぎてしまうようなことは無く、伸び伸びやれているのが良い。
ユニットコーナーで見せたのは、天乃さやの現時点での「ここまで出来る」と言う到達点、片鱗として見せる伸び代。
五十嵐マイと二人で歌った「夢ファンファーレ」では、歌で掛け合いが出来るところを見せ、ソロで歌った「流れ星」では(裏に逃げる所での揺らぎなどはありつつ)歌唱可能音域と表現の幅の拡がりを見せていた。
天乃が生誕用のドレスに着替えて出てくるまでの時間、「天乃さやの良い所」を3人それぞれが話したのだけれど、異口同音に「本人は隠すけれど頑張る人である」ことを強調。
自分でスタジオを借りて自主練習をするくらいの入れ込み方であることについて、本人は例によって肯定するでもなく否定するでもなく流してしまっていたけれど、パズルの欠けていたピースが見つかったような納得感があった。
天乃さやは韜晦の人なので、アイドルとして舞台に立っている以外の自分については正体を掴ませず、
「アイドルをやる以外は家に引きこもってソシャゲ三昧。 アイスを食べて生きている。」
的なパブリックイメージの殻を作ってその中に居るが、その実「アイドルとして客前に立つ」以外の時間もアイドルとして、かなりストイックに過ごしていたと言う事になる。
そうした「努力する天才」としてなら、現在の天乃さやの立ち位置も説明が付く。
九月生まれの天乃さやは、おとめ座
生誕祭の副題として付けられたおとめ座のスピカは、夏の終わりに中天高く輝く、青白い一等星。
醒めたように見える青白い星の方が、実は表面温度は高い。
紬麦みほは、それぞれのイメージカラーを引き合いに出し、「赤い炎と青い炎」と評していたが、確かに天乃さやは「醒めた炎」である。
振り付けの表現力は磨きつつ、体幹を鍛えてブレを抑え、音域を上下に広げつつ、安定も図る。
自堕落な生活を送っているような口ぶりでいつつ、手足も、首からデコルテにかけての線もスッキリさせている。
泣かないと決めたら意地づくでも泣かない。
醒めているようで、醒めていない。
このあたりのややこしさ、正体を現さないところも、天乃さやの魅力の一つだと、私は思う。
必ずしも順調では無かった来し方を振り返り、甘くはない現実を直視し、それでも前に進むことを誓う21歳の所感。
「楽しい時間が出来るだけ長く続くように」
との言葉が沁み行った。
予定調和のアンコールは無し。
プログラムだけで描き切る趣向。
良い生誕祭ライブであった。
(2021.09.19 記)
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