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「自由より創造を2021」

写真家の田原桂一の晩年の言葉から取られた表題、「自由より創造を」。
ギャラリー・ニエプスの同人である、中藤毅彦、橋本とし子、福添智子、石川栄二、寫眞館ゼラチン、キセキミチコ、平良博義、森田剛一に加え、ゲスト作家として飯田鉄と村上仁一が出品。

神保町すずらん通りの半ばにある檜画廊で今年も開催。

橋本とし子
家族と言う関係性と言うか、生活を共にし、心を許し合ったものの間にのみ存在する、互いの体温が感じられる距離での写真。
撮られる側には警戒心が無く、撮る側にはちょっとした変化にも気付けるアンテナの感度がある。

キセキミチコ
多重露光。
フィルムの段階なのかプリントなのか、おそらく後者であると思われるが、何重にも重なる都市の風景。
ブレボケや荒れもあり、文字情報も曖昧になっていたりで、場所は判然としない。

石川栄二
スクエアフォーマットを、鶏卵紙にプリントしたようなビンテージプリント風の仕上げ。
以前より黒が濃くなっており、霞んで判然としない部分に加えて、潰れて判然としない部分が出来ていた。
小さめの覗き穴から見た夢の世界のような小品なのだけれど、眠りがより深くなったような、脳の隔靴掻痒感のようなものが心地よい。

飯田鉄
下落合の Alt_Medium で展示していた連作の横位置版。
ひとの居た痕跡はあるが、ひと気の無い風景を、あっさりした色味で撮ったもの。
枯淡の味わい。

中藤毅彦
4点中3点が、スナップより風景に寄ったもの。
文字情報もなく、人影もなく、静かな、ゆったりした写真。
スナップを撮るときは、「撮ろう」としてから撮るまでが早い写真が多いが、今回は立ち止まると言うか、それより長く「佇んで」撮ったような写真。
水平線を撮ったもの。 同じく水平線を撮った飯田鉄のそれとはまた異なる切り口。
ゆるやかな時間の流れ。

平良博義
荒川の河川敷で暮らす人々と、猫たち。
人に対する興味が先にあり、その一環で写真がある。
会いに行き、語らい、合間にパチリと撮る。
その人がカメラを持っている、そしてたまに撮る、それに慣れているので、構えない表情と仕草、そして振る舞いが撮れている。

森田剛一
ひと気の無い空港。 そこに人は写っていないのだけれど、何かしらの気配だけは漂う。


寫眞館ゼラチン
23年前にイタリアで撮ったネガを、今プリントするとどんな表現になるかと言う試み。
汚したり潰したり。 大掴みには見せつつ、細部を見せない事で味わわせる、記憶の逃げ水のような感覚。

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それぞれの「この一年」が、ひとり4点ずつの縛りで。
撮る行為に於いても、プリントする行為に於いても、一枚の写真に込められた時間が長い作品が多かったように感じられた。
それは、それぞれがこの一年に持つことになった「待つ時間」の長さを象徴していたように思う。

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(2021.07.17 記)


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