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表現工房vol.4 森谷修写真展「み熊野の」

市ヶ谷のDNPプラザ、印刷会社のショールームで開催される珍しい形の写真展。

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写真はB0の大きなものが3点。
その前に机が3つ並び、森谷修が熊野で撮り貯めた膨大な量の写真を、DNP社員のデザイナーに託し、森谷との対話を通じて写真を選び、構成した一点モノの私家版写真集3冊を展示。

傍らには、写真集を作るにあたっての覚書のようなものがパネル展示。
編集する側のアイデアの列挙とそこから纏めて行く展開が可視化されているのが面白い。

3枚の写真と3冊の写真集。
企画編集する工程、デザイナーの思いや考え。
題材を広く揃えたもの、テーマを設定し絞り込んだもの。
やり方はそれぞれだが、それぞれに見応えがある。

写真展であり、写真集展であり、私家版写真集を手掛ける表現工房の広報活動でもある。

森谷の撮る熊野は、目には見えないが確実に其処に在る/居るものまで写し取ったような、視覚を通じてつたわるのとは別の感覚に訴える何かがあるのだけれど、それが写真集になっても残っている事に驚く。

但し、写真集にまとめる際に綺麗な部分だけが選択されがちではあるようで、その辺りに実際に足を運び生で見た撮影者と、写真から受け取るものだけで判断するデザイナーの思考に違いが感じられる。
「熊野≒聖なるもの」と言う先入観や、写真集は美しいものだけで編まなければならないと言う固定観念も影響しているのかもしれない。

「つまり彼は真白だと稱する壁の上に汚い様々な汚點を見るよりも、投捨てられた襤褸の片に美しい縫取りの殘りを發見して喜ぶのだ。 正義の宮殿にも往々にして鳥や鼠の糞が落ちて居ると同じく、惡徳の谷底には美しい人情の花と香しい涙の果實が却て澤山に摘み集められる……。」
永井荷風「新橋夜話(見果てぬ夢)

寺田寅彦の「涼味数題」

https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2485_10341.html

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涼しさは瞬間の感覚である。持続すれば寒さに変わってしまう。

とある。
美しさも、対比の中にあると、私は考える。

こうなると、数で圧倒するような写真展で、森谷修セレクトの「綺麗は汚い 汚いは綺麗」なものも見てみたくなってくる。

ともあれ、見応え基ある三冊。
写真集なので、ざっと見るにしてもそれ相応の時間がかかる。
空いていそうな時間に、時間と心のゆとりをもって足を運ぶことをお勧めする。

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(2022.11.13 記)

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