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立川流日暮里寄席【立川左談次追善】

職場を早々に退散して日暮里へ。
ゆとりを持って着けたので、蕎麦手繰ってからサニーホール。

弟子と、所縁のある後輩/若手の顔付け。

「子ほめ」笑えもん(開口一番)
「幇間腹」がじら
「ボクの読書日記(音源:左談次)」キウイ
トーク(キウイ、左平次、談吉、がじら、司会:寸志)
「阿武松」談吉
「妾馬」左平次

如何にも談笑門下らしい「子ほめ」。
少々速すぎるきらいはあるが、エッセンスは掴んでいるように感じられる。
「追悼」と言ってしまっていたが、「追善」。 似て異なる。

機知に富んだクスグリと、映画的演出の「幇間腹」。
ハイブラウなギャグに、間でも可笑しみを出し、分かる人は分かる人としての、分からない人も分からない人なりの「笑い」が生まれる。

恐らく「音源を流す」と言うので早トチリをしたのだと思うが、出のところでメクリと座布団を前座が片付けかけて一と笑い。
あの世に行っても洒落のキツい悪戯を。

マクラで暫し思い出を語った後、サテ何を・・・となったところで、自分の会にゲストで出て貰った時の音源を流し、捌けて袖で聴く「読書日記」。
これは流れも間も、根多そのものも、この人にしか出来ない隠し玉。

巷間広く知られる酒席でのエピソード「以外」を引き出そうとする司会の目論見は半分当たり、半分外れて、矢張り酒絡みの話は出て来るが、それはそれで面白く、懐かしく。
普段は聞けない、それぞれの稽古風景の回顧談はしみじみと、でも可笑しく。

「教わった通りに演ります」と前置きしての「阿武松」。
マクラでの呼吸や体の動きは談志なのだけけど、スッと噺に入ってからの姿勢や所作、口調やリズムは左談次。
ついた師匠との日々が、血や肉となっているのを感じる。
実に良い「阿武松」だった。

マクラもそこそこに「妾馬」。
「頑張れば文楽にはなれるかもしれないが、頑張っても志ん生にはなれない」と私は思っていたのだけれど、そうでもないのではないかと思わせる天然の馬鹿力・・・の、ようなもの。 を持っているのが立川左平次。
その辺りの意図しない幻術は発現せず、端正な楷書の「妾馬」。

弟子だった二人は、会場のどこかに居るように思われる師匠を前に「上げの稽古」をするような、そんな二席だった。

間に挟まって軽く演る。 そこに得難い持ち味のあった人
の追善なので、根多帳を見ても重すぎるように感じるくらいではあるが、「山号寺号」と「町内の若い衆」と「大安売り」と言う訳にも行かないのであろう。

(※私が見た中で一番短かったのは立川談大追善の会。「山号寺号」のマクラのとんとん落ちの小咄で、深々とお辞儀をしてもっともらしい顔で降りちゃった。)

誰かしら受け継いでいる持ち根多のなかで、唯一手付かずの「読書日記」。
まぁ稽古をつけて貰う類のものではなく、即興芸でもあるので仕方がないと言えば仕方がないし、そもそも音源が残りにくい。

聴き逃してホゾを噛む向きもありそうだが、そのあたりはこの日の根多出しと顔付けで蹴ってしまっているようにも思える。
足を運んだものだけがありつけた珍品。

立川流の主催興行だから出来る、実に「らしい」追善だった。

(2023.03.04 記)

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