柳美稀×福島裕二写真展 -continue-
5/7(土)と5/8(日)に、アトリエY原宿へ。
自転車で行くルートを模索していたのだけれど、旧アトリエY青山へ行くルートで、熊野神社の前から下って来た道を、外苑西通りを渡ったところで右に折れると、道なり辿り着けることが分かった。
このルートなら、246を通らなくて良い。
初会は在廊日の在廊時間。 それも休憩に入るタイミングに当たってしまった。
在廊イベントは写真ではなく本人に用がある人の為のものなので、写真が見辛いのは仕方がないのだけれど、今回は一寸空気が異なり、写真を見るでも見ないでもなく、ただひたすら特典会の再開を待っている奇妙な沈黙が支配。
談笑するしない以前に、同好の士としての緩やかな連帯感すら無い「万人の万人に対する闘争」のようなピリピリした空気。
のんびり写真を見られるような状態ではなく、出直すことに。
翌日、出直す。
写真を見る事が目的の人が、写真を見に来ている。
入り口脇にステートメント、其処から始まる壁一面に二段×11列ズラリ。
角を曲がるところからB0を8枚。
カラー多め、時々モノクロ。
カラーはアルミ縁、モノクロは黒縁の額。
上目から下目から、右から左から。
かっちりしたものから柔らかいオフショット的なものまで幅広く。
定番の展示法だが、壁を埋め尽くす22枚を見ているだけで飽きないし、引っ掛かった部分をヒントに見返すと、見返すたびに発見がある。
ここで何がどう撮られているかを推し量った後にB0の作品を見ると、何と言うか汲み取りやすい。
素肌に白いブラウス
素肌に黒いジャケット
ランジェリーの上にうすもの
この「プラス1枚」が効いている。
肌の質感描写に「オスカー」を感じるところ無きにしも非ず乍ら、そもそも撮った段階での落としどころが良いので気にはならない。
ステートメントには、自分を好きになるために自分をさらけ出した的な事が記されていたが、厚着薄着とか布面積とかそう言う所ではなく、「カメラの前で取り繕わない」事なのだと思う。
目が生きている。
光を宿らせた時の瞳の輝きが違う。
正面も切れるし、意識だけを向ける事も出来る。
撮る人への隔意が無い。
俎板の上の鯉のような諦観ではなく、自分を諦めていないから意思の宿った目でカメラと向き合える。
夕景三点が白眉。
スタジオ撮影分でもかっちり決めていないものに、私は心惹かれた。
ブラインド越しの光を受けたもの、ソファまわり、屋上。
見れば見る程良い。
「かっちり決めて」撮ったものが写真になっているから、より大きな落差が感じられ、柔らかさが倍加する。
書きあぐねているうちに、会期が終わってだいぶ間が開いてしまったが、見る者も試されているような厳しさも感じた写真展だった。
(2022.05.27 記)
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