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立川流日暮里寄席『珍品・レア噺特集』

マクラでほぼ全員が話していたが、珍品の珍品たる所以は、
「あまり面白くないから演る人が少ない」。
それを承知で集まった好事家が雁首揃えた中に混じる。

「道灌」のの一
「丈長そうめん」らく人
「朱描き鍾馗」志のぽん
「七面堂」龍志
「三国誌」談之助
「花見心中」志ら玉

「道灌」
志ら乃門下だな、と言うのが聴いていて分かる。
入れ事をせずに教わったままやっているのだと思う。
前座のうちはそれで良い。
箱がコンサートホールなのが災いしたというか悪しき偶然と言うか、甲高い声が変な響き方をしてしまって少々聞き取りづらくあったが、当人に責任は無い。

「丈長そうめん」
兄貴分か何かの留守宅に来て「何か食べさせてくれ」とねだる発端からしておかしいのであるが、食べたい量が尋常では無かったり、作る量が尋常では無かったり、何から何までどうかしていておかしい。
そのおかしなことが淡々と続く。 
実にバカバカしく、罪の無い噺。

「朱描き鍾馗」
かっちり固めた七三分けに眼鏡。
昭和の芸人っぽい見た目になっていた。
何処かで見たような・・・と、思ったら、浅草地下街の八百円床屋の親爺にソックリ。
マクラ迄は眼鏡着用のまま。 噺に入るところで外し、パチリパチリと畳んで傍らに置く。 この形が良い。
浪曲から持ってきた根多とのことだったが、そのさらに元が有るような気がしたので国会図書館のデジタルコレクションで調べてみた。
中込重明の「講談本の研究」
https://dl.ndl.go.jp/pid/3051450
の「講談登場人物索引」に「高嵩谷 こうすうこく → 嵩谷の鐘馗」とある。
さらに「嵩谷の鐘馗」で調べると桃川實の速記本に当たった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/890973/1/15
講釈から浪曲へ、浪曲から落語へ・・・と言う事のようだ。
速記本の方は癖のある江戸弁だが、そのあたりの灰汁が抜けた口調になっており、物語そのものを聴かせる構成に換骨奪胎してあるのが志の輔門下らしさか。

「七面堂」
ラジオか何かで、圓蔵師のを聞いた記憶があったが、出所はそちら。
日蓮宗のお寺での落語会で、次回の演目として住職から頼まれて稽古に行ったとのこと。
噺の舞台は本所のあたり。 幼少期を過ごした向島あたりの思い出が織り込まれる。
短く他愛のない、民話のような噺を膨らませた一席。
膨らませる為の種々のエピソードが楽しい。

「三国誌」
春秋戦国から秦そして漢の歴史を語り起して、長坂橋のエピソードでオチにする地噺。
曹操の食客となった関羽が袁尚の配下二人を討ち取りに行く下り。
「エンショーのところに二人強いのがいる」
「エンラクとセンリュウですか?」

「行ってきます」「行ってきました」で首二つ。

「花見心中」
江戸末期も末期、慶應四年の春から始まる噺。
「蔵前駕籠」「青龍刀権次」と同じ頃か。
花見時分の季節の噺としては「花見の仇討」「花見小僧」「長屋の花見」「花見酒」「あたま山」etc...
地味で設定に無理があって分かりにくくて笑いどころが少ないので、やり手が少ないのもむべなる哉。
しかしまぁ、演芸好きも病膏肓に入ると、この手の根多を欲するのである。

この日の六席全て、毒にも薬にもならず、大笑いするほどの可笑しさはなく、帰りたくなるほど詰まらなくもなく、涙するほどの感動もなく。
仕事帰りにフラリと入って、ヘラヘラ笑ってダラダラして帰る。
センスのあるナンセンス、意味のある無意味さ。 有意義な「人生の暇つぶし」。
私にとっての寄席演芸の理想に近い会だった。

(2023.04.06 記)

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