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あの日、運命のわかれ道にいた。

99万9999回の失敗のあとの奇跡


奇跡が起こる時って突然なんだろう。

エジソンが電球を発明した時、
何回も何回も何回も何回も失敗したのに
ある日突然、ポン!と出来ちゃったのかもしれないし

ライト兄弟が飛行機を飛ばしたやつだって
何回も何回も失敗したけど
「これやってみたらいいんじゃね?」
みたいな感じで飛ばしてみたら完成しちゃったのかもしれない。



2番目の結婚は20数年の結婚生活があった。
その間、言葉や体への暴力はずっと続いてた。

何度も家出をし、何度も家を追い出されて
わたしはなんでこんなに不幸なんだろう。って思ってた。

でもそれは全て、自分が引き起こしたことなんだ
っていうのは、もっと後に気づいたことだけど
もちろん、わたしが悪いから殴られたんだ。
なんて露ほどにも思っていない。

どんな人にも、それこそ弱い者いじめはやっぱり卑怯だと思う。

わたしの場合は経済的にも全部彼に握られていたし、
子ども2人連れて逃げ出す勇気はなかったから
わたしさえ我慢すればいいと思っていた。

彼と別れることは絶対に出来ないんだって
彼が死ぬか私が死ぬかしか彼と離れることができないってずっと諦めてた。


別居が出来る条件は整っていた。


私が別居を言い出した時だって
当然認められるとは思わなかった。

でも彼は何故か認めた。

その当時、わたしたち夫婦は
早々とセミリタイヤして、お店を従業員に任せていた。

夫は経理をしに時折会社に行き
わたしは仕入れをするために展示会や問屋へ行った。

千葉にセカンドハウスを買って東京の家と千葉の家を行き来し、
キャンピングカーも持っていたので、
東北を周ったり悠々自適にしていた。


東京の会社に彼が行く時は、わたしは千葉にいて
わたしが東京に仕入れに行く時は、
彼が千葉で留守番をしていたから
前みたいにべったりと、朝から晩まで一緒にいる事はなく
彼と離れているときは比較的自由に過ごせた。

事情があって、千葉の家は私の名義で買った。

東京の家は彼の名義だったので
別居する時に千葉の家から追い出すことが出来たのだった。
こんなに別居環境(て言うか?)が整っていたなんて
元旦事件が起きるまで全然気づかなかった。


彼は東京の家で暮らし、私は千葉の家で暮らし続けた。


あの日、忘れもしないあの日。


別居して3ヶ月が過ぎたあの日。


そう、忘れもしない2011年3月11日。

あの日、夫は長男と次男を連れて久しぶりにわたしの家に来た。
彼の荷物を引き取って貰うために呼んでいたのだった。

午前中、3人はやってきて、夫の荷物や家具を車に積んでいく。

終わる頃、お昼だったので息子たちが好きな豆乳坦々麺を作った。
4人で食べていると、夫が突然箸を止めて呟いた。


「もう、ママのごはん、食べられないんだな、、、。」

そう言って下を向く。



その様子にわたしの気持ちは1ミリも揺れなかった。

それどころか、


今さら何言ってんの?
そんなに悲しい顔をするなら
少しでも優しくしてくれれば良かったのに!!

そう腹立たしく思う。

彼の悲壮感などあっさりスルーして
黙々と食べ終える。

2時過ぎ、夫らは東京へ帰っていった。

「さてと、銀行へいってこなくっちゃ。」
わたしも支度をして農協へ向かった。

農協へ着いて、ATMに通帳を入れると
なんだか地響きみたいな振動があったと同時に
ATMが突然止まった。


と、思ったら、物凄い揺れと音が響く。

「わ〜!地震だ!!!早く外に出ろ〜!」

農協の職員さんもお客さんもみんなで駐車場に避難した。
あまりの揺れに立っていられずに
地べたに座り込む。

わたしはボーゼンとしながら
だだっ広い駐車場の電線がまるで大縄跳びみたいに
グルグル廻っていたのを見ていた。



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