嫌いを口に出すこと

はじめに

 こんにちはこんばんは。ふむじまです。
 今回は「好みを話すときに『嫌い』という単語を使うこと」に対して個人的に考えたことを書こうと思います。人との会話で気づいたこと、考えたことを忘れないために書き残しておきます。
 ややこしい話をしてるので文章がしっちゃかめっちゃかかもしれません、すみません。
 何か読んだ人に与えられるものがあればうれしいなと思います。よろしくお願いします。

本論

 さて、本題に移ります。
 先日、とあるフォロワーと前述の話題について3,4時間夜中に語っていたことがありました。その時に話したことを思い出しながら記録しようと思います。だからちょっと曖昧なところもあるかもしれません、ご了承。
 あと、好き嫌いを口に出して言うことについて全般的なことを述べようと思いますが、その時は曲の趣味について語っていたので、ほぼ曲や音楽相手に考えた内容が主体になると思います。

・自分的「嫌い」の感覚

 僕は元々、というか今現在も「嫌い」という単語を使うことがあまり好きではありません。自分個人の考えとしては、僕が「嫌い」と言ったものには、自分の他に、それを好きな人だったり、作った人がいるわけです。その他者のことを考えたとき、自分がそれに対して明確に嫌いだど言及している場を目撃したとき、たぶんいやな気持になると思うんです。少なくとも楽しい気持ちにはならない。道徳ですね。
 なので、基本的に今まで何かを評価するときは、極力「嫌い」という言葉は使わず、「あまり好きではない」、「自分は好みじゃなかった」、というような柔らかめの表現をとるようにしていました。


・覚悟のある「嫌い」は悪なのか

 例えば、新しく出会って聴いてみた曲がすごく自分にとって嫌いだったとします。その曲の評価は、まず自分自身の中では「嫌いな曲」という評価になります。
 次に、その自分の中で付いた、曲の「嫌い」という評価を何かしらの方法で発信するとします。この場合、
①感想に「嫌い」という単語を入れる
②「嫌い」という言葉は使わず述べる
③そもそも言及しない
 ざっくりこのぐらいの選択肢があると思います。この三択でいうと、僕は②番に当てはまります。③のときも結構ある。
 しかし、その時話していたフォロワーが①のタイプの人でした。
 その人の話に基づいて解釈すると、「嫌い」というのは自分の中で一度ついた評価であることは間違いなく、その評価がついた時点で、その曲に対して何かしらのひっかかりをもったことになる。なので、「嫌い」だからといってその曲を聴かなくなるのではなく、「何かのひっかかりがあった曲」として時間が経ってから聴き返し、再評価する機会を作るとのことでした。つまり、「嫌い」という評価で終わることなく曲に向き合う体制があり、決して突き放したわけでない、と。
 その話を聞いて、ほほうなるほど、となりました。自分の中にはない感覚だったのでとても新鮮でした。
 ここから話の順番が難しいんですが、いったん次の話に移ります。
 

・「嫌い」という単語だけに反応する人

 近頃(というかまあいつでも一定数はいると思いますが)、自分の好きなものに対して「嫌い」と言われたことに対して過剰に反応する人たちがいます。そういった人たちは好き、嫌いという言葉をどのようにとらえているのでしょうか。
 先ほど、「嫌い」という感想を反射ではなく考えたうえで使う人の例を紹介しました。例えば、この人が、嫌いだと思った曲の嫌いな部分をめちゃくちゃ考えて、一生懸命向き合って曲の感想を書いたとします。その感想に対して、「私の好きな曲嫌いって言われた!!」と言ってキレる人がいるとします。そのキレている人は本当にその曲のことが好きなのか?という話です。
 持論ですが、本当にその曲のことを好きなのであれば、その曲を嫌いだと言っている人の意見も聞いてみようとするとか、理解する努力をしてみるとかすると思います。反射で嫌いという言葉に飛びつく人たちは、その「嫌い」を述べている人の何を見てキレているのでしょうか。

・「嫌い」と評価軸

 「嫌い」という評価がなくなった世界ってどうなんだ?という話をします。感想を言う人全員が「嫌い」を使わなくなったらどうなるのか。シンプルに考えると、「好き」や褒めることしかできないぬるい世界が生まれると思います。
 「嫌い」という評価は、「好き」の対極にあるもののように思えて、実は違うものだと自分は考えてます。何かのたとえで「好きの反対は無関心」とよく言うものですが、実際その通りだと思います。つまり、曲を聴いているとき、もし「嫌い」と感じる曲があったならば、その人は考えながら聴いている人だと思います。多分一生懸命聴いていなければ「嫌い」ではなく「無関心」、つまりその曲に対して「何も感じない」ということになるのではないでしょうか。

・総じて考えると

 上のトピック2つを合わせて考えると、あまり失礼なので言いたくはありませんが、「嫌い」という言葉に過剰に反応する人は実は一生懸命曲を聴いてない人じゃないかと思うんですね。
 自分の中に、「嫌い」と思う曲がない、思った経験がないからこそ、自分が好きなものに良くない方向で言及されたときに怒ってしまうんじゃないか。極論ですけどね。
 一生懸命曲を聴いた経験があって、「嫌い」だと思った曲がある人は、曲に対して「嫌い」を使っている人には嫌悪感ではなく共感が先に出る気がします。

・「嫌い」を持っている人

 これは最近感じることが多いんですが、「嫌い」をしっかり認識できている人って、人一倍「好き」も強いんですね。
 近頃ボカロPさんの集まるスペースに入らせていただくことがよくあります。そのとある回にて、嫌いな曲、嫌いなアーティストを挙げるという流れがありました。皆さんはちゃんとそれぞれその曲やアーティストが嫌いな理由がはっきりしていて、聞いていて納得してしまうものも少なくありませんでした。
 また、その後に好きな音楽やアーティスト、ジャンルに関してもお話がありましたが、その時はその時でかなり熱く自分の好きなものについて語っておられました。
 「嫌い」を認識すること、口に出すことがすべてではないですが、僕は、これらの経験を基にして自身を振り返ってみたとき、そういえばすごく嫌いな音楽というものもないし、これといって自信を持って超好き!と言えるものがないことにも気づきました。


最後に

 かなり話があっちゃこっちゃ行ってわかりにくかったと思います。すみません。深夜に書き始めたことをかなり後悔してます。大目に見てください。
 とにかく言いたかったこととしては、まとめると、
・「嫌い」を口に出すことは悪いことだけではない
・「嫌い」が分かれば「好き」もわかりやすくなる
・深さがある「嫌い」を持っとくといいかも
とまあこんな感じです。伝わっていれば嬉しいです。
 ほとんど思考することなく「これ嫌い!!」と叫んでいる輩ももちろんいますし、嫌いという単語を使っている人すべてを受け入れろ!とかそんなことは言いません。
 ただ、どんな言葉も、一瞬嫌だと思ったことでさえも、理解しようと思えば見えてくるものがあるかもしれないということを書いておきたかっただけでした。
 少なくとも、僕は、今回これを書いたことで、「嫌い」ということに少し向き合えた気がします。

以上、長文お付き合いいただきありがとうございました。ふむじまでした~!


2023年1月10日ほぼ2時 ふむじま


 


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