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ソウル日記❘ 帰国4か月目にしてふり返る

2年間の韓国留学から帰ってきて、早4か月が経とうとするのに、なかなか振り返りができていませんでした。「大変だったけど楽しかった」「こういうことを学んだ」といった歯切れの良い表現が見つからないからかもしれません。ですが、やっと重い腰をあげて、そろそろ言葉にしてみます。


私にとって韓国への留学は、実のところ不本意とは言わないまでも、はじめから希望していたことではありませんでした。イギリスに交換留学して、やっぱりヨーロッパの大学院に進学したいと思っていたところ、コロナがはじまりました。

次第に、パンデミックは収まらないどころか、思ったよりも深刻だと分かりはじめます。あんなにヨーロッパ、特にドイツの大学院に行く、と固く心に決めていたはずが、断念せざるを得ませんでした。

それでも国外の大学院で勉強したい気持ちは変わらず、それならばと日本と地理的に近く、当時コロナの状況もまだましだった、韓国を留学先に選びました。それまでも、韓国へは8回ほど旅行で訪れていましたし、小学生のころから韓国語を休み休み勉強していたこともあり、抵抗はありませんでした。

それでも、私にとって韓国は、あくまでも旅行先であり、住みたいと思ったことは一度もありませんでした。交換留学先を決める際に、母と冗談半分に「韓国は旅行ではいいけど、住むのはね…」と話したのを覚えています。その言葉が、見事にブーメランになって返ってきました。そうして、あまり気持ちが盛り上がらないまま、渡韓することになります。

14日間の隔離生活。毎食おいしいけれど量が多め。

「自分が選んだ道だから」「せめて留学できているんだから」と自分で納得しようとしましたが、それでも「なんで自分はいま韓国にいるんだろう」と思うこともありました。YouTubeでパンデミックでも欧米に留学している人を見て「自分にその選択肢は本当になかったんだろうか」と自問したこともあります。

そうやって数か月が過ぎたころ、なかなか眠れないなと思ってスマホをスクロールしていました。すると、何かのきっかけで「どうしよう、逃げ場がない」という高校生のころに度々感じていたパニック状態がフラッシュバックし、圧迫感と焦りがおそってきました。とにかく落ち着こうと、日頃からやっているヨガをやったり、気を紛らわせたりしましたが、一度高ぶった神経は収まりません。

当時住んでいた、ワンルーム兼シェアハウスは狭く、その空間から一旦離れようと、近所のマクドナルドに向かいました。そこでカフェラテを頼み、母にLINE電話をしました。夜中なのに、一回目の通知で応答してくれた母は、さすがです。(ちなみに母は普段から眠りが浅く、夜中に虫かごからカブトムシが逃げた際に、羽音で目を覚まし捕獲してくれたことがあります。)

泣きながら話すうちに、気持ちも落ち着いていきましたが、あの狭い部屋に戻るのが怖く、空が白むまでマクドナルドにいることにしました。店を出ようと飲み干したカフェラテの味は、高ぶった精神に、何とも美味しくなかったことを覚えています。


韓国らしいご婦人たちの後ろ姿を思わずパチリ。

こうなった一番の原因は、生活リズムが崩れ、心身に過剰なストレスがかかっていたからだと思います。根詰めて毎日遅くまで勉強し、パンデミックのため外で気分転換することもままならず、食事も面倒になってクラッカーやありあわせのもので済ませていました。

オンライン授業のzoom越しに、英語で国際政治についてディスカッションするクラスメイトを見て圧倒され、読んでも読んでも終わらない事前のリーディングに追われ…。
田舎の旧帝大で美術史を専攻した私が、ソウル大で国際関係学をやるなんて、場違いかもしれないとも感じていました。そして、その出遅れを挽回するべく、ひたすら勉強に精を出しました。勉強と留学生活自体は楽しんでいるつもりでしたが、どうも脳と身体は違ったようです。

あの夜は、もう日本に帰ろうかとも思いましたが、パンデミックでの帰国は簡単ではなく、日が経つにつれて気持ちも落ち着いたので、そのまま韓国にとどまりました。

留学中に母から送られてくる荷物は、いつもイラスト付き。
この時はひつじのショーン。

そのなかで、何よりも心身の健康を優先すること、そして勉強(さらに言えば社会的評価)は、自分のアイデンティティや本質とイコールではないことに気がつきました。気がつくのが遅すぎた感はありますが、この2つは自分にとってgame changerで、日本に戻った今も大切にしています。

それからというもの、心身の健康と環境を良くするべく、とことん自分の心の声に素直になって、何が好きなのか、どういう状況が居心地が良いのかを探しはじめました。

長くなったので、今日はここまでですが、韓国での2年間は「もう逃げ出したい!」と思うことも多くありましたが、だからこそ、もがき続け、これまで埋もれていた自分が大切にしたいことやものが、やっと見えるようになりました。

冒頭にも書いた通り、ずっと留学生活の振り返りをしようと思っていましたが、何となく歯切れが悪く、なかなか筆が進みませんでした。ですが、今日ここに書いてみて、歯切れは悪いままで良いし、これこそが私の正直な気持ちなんだろうと改めて思いました。


なんだか日曜日の朝には似つかわしくない、ヘビーな文章になってしまいましたが、この出来事を経て、どんどん韓国での生活は楽しく、リラックスしたものになっていったので、ご安心を…!

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