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能力があってもその力を決して他者のために使わない人がいる


先週、忙しかった(ヽ´ω`)
今週はその余波で忙しかった(ヽ´ω`)

ずっと某社と某社と某社のアレコレをまとめてた。
その仕事を依頼してきた人は数日間寝ておらず、顔が日に日に土色になり、身体中にじんましんが出ていた。

不幸なことに、先週は海外からの電話も多かった。(英語)
今の仕事はでっけえ会社のアレコレをする仕事なので、海外からの電話もそれなりにかかってくる。
なぜか最近それが多くて困ってる。

私は一番下っ端なので率先して電話をとるが、英語力は皆無である。
なのでいつもヤバすぎる英語で相手を困惑させながらどうにかやってる。
(だいたいは相手が「Oh...(察し)」って感じになり、すごく優しい英語でゆっくり話してくれる笑)

しかし先週はさすがにしんどく、
私の頭から湯気が出ているのを先輩がわかってくれて、英語が話せる他のフロアの人に
「もし私たちが英語話者の対応をし切れなかったら、そのときだけ対応をお願いしてもいいですか?」
と言ってくれた。

しかし、断固拒否された。
「私は私の仕事しかしない。
だから自分の仕事は自分でやってほしい」
と。
その返事を先輩から聞かされた時「そういう思想なら仕方ない」と思った。

ただ、この一件は結構私の心に残った。

英語が話せる人は、人から頼られることが多すぎてウンザリしてるのかな?とか

それとも英語とか関係なく、その人は自分の力を他人に貸すことがイヤなのかな?とか

その人の気持ちはちょっとわかる。

私はパソコンがまあまあ得意である。
そのため、就職したばかりの20代前半のころは、パソコン仕事を任されることが多かった。

その代わり、説明会などで人前で話すような目立つ仕事がまわってこず、「私も人前で話す仕事やりたいな」と悔しい思いをしてた。

あと、常日頃からパソコンが苦手な人にパソコンの使い方を質問されることも多かった。

大学を卒業するとき、教職課程の先生から、
「パソコン関連の仕事は全て引き受けなさい。できないと思ってもその日の晩に勉強して翌日の朝にはできるようにしなさい。それが理科大生の使命である」
と言われ送り出されていたので、私はそれを忠実に守っていた。

ただ、私も若かったので、他人の仕事のために、自分の仕事の手を止める生活に辟易していた時期もあった。

だから、その英語ペラペラの人が断る気持ちもわかった。

しかし今まで生きてきて、人は1人ではやっていけないことや、互いに支え合わないと上手くいくこともいかなくなると様々な場面で感じるようになった。

なので、今の私は困っていそうな人がいればお節介と思われてもいいから積極的に声をかけてる。
質問されたら守秘義務に反しない限りなんでも答えるし教える。

たぶん、過去の自分も知らないうちにたくさんの人に助けられてきただろうから。

能力があってもそれを他人のためには決して使わない人もいる。

があってもそれを他人のためには決してつかわない人もいる。

時間に余裕があっても他人のためには決して使わない人もいる。


私はそういう人たちを否定しない

でも、私は自分に少しでも余力があれば、金も能力も時間も他人のために使う。

そして、自分の能力や金、時間を他人のために使える人が私は好きであると言える自分でありたい

先日ブックサンタをして、そんなことを改めて考えた一週間であった。

おしまい