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自分のことばかり考えちゃうからnote書けるんだよなあ


自虐の竹槍と人間性のモデルガン…


私,

自分のことはわかるのに人のことがわかんない場合が多い。人と話すときにまず受け取って次に解釈してそして返しを思いつき,言葉にして最後に渡してあげるのが僕には難しい。ほぼ出来てない。だからよく学校の帰り道はあのシーン,どうやって返したらよかったかなとくよくよ考えて帰る。次の日の朝に,自分の考えたピッタリの返しを持っていき,しかしもうそこにあの状況はなく,私は置き去りにされる。

中学生の時は,よく人の返し方を見て,どういう返し方をするとどんな反応がされてどう盛り上がるのかを見てパターン分析していたな。ちなみに帰り道にくよくよ考えたのは小学生の頃の話だけど。

なんか,人になんていわれるかわかんないし,人と一緒に居てもこういうわけで話が出来ないから人が離れていって友達出来ないし,話がうまかったり,流行に乗れていたり,友達と一緒に洋服買いに行けたりする人たちが自分には完璧人間に見えて,怖くて,こちらからは到底話しかけられなかった。

通りすがりの人が何か喋っていたりすれば自分の悪口かと思ったり,周りが仲よさそうに喋ってるのに未だに一人喋れない自分を感じるとやっぱり私いつも浮いてると思ったり,人とコミュニケーションとるのが鬼のように上手い人ばかりいそうな大学の学部には進みたくないと思ったり,

自分を理解しようとしすぎてきたけど,理解するときの自分は「変な人」「浮いてる」「空気読めない」etc…,


そういう性格では浮くし,指さされるしで,こういう性格ではいけないと思ってたから,なんとか普通になろうと思ってティーンエイジャーを過ごしてました。

結構研究した気がするんだけどね。でも結局他人のマネじゃ生きづらくて,もとの自分に戻りたくなった。あと,メタ認知しまくったときに,自分の性格って案外それはそれで生きられるジャン,良い味だしてんじゃん,普通じゃないからむしろそれが良いじゃんと思ったときに,もとに自分の感覚にめちゃ戻りたくなった。


まあ,だから逆に言うと自分語りは得意です。で,人のことは見ていても自分ほど見てない。でも自分ばかり見てると何の発展性もなくて,自分の生きてる意味を見失っちゃったから,人のことを見ないといけないって最近気づいたけれど。

そんなわけで,今のnoteは得意分野,を,

聞いてくれる人を探すことが出来ないので,ここに放すことで書けています。



なんか,「明日のたりないふたり」を見てて,今まで理解して貰えないんだと思っていた世界がこんなにきちんと存在していてよかったなと思ったわ。

「社会人大学人見知り学部卒業見込み」読んだときにも思ったし。その次に買った本,なぜかたまたま「天才はあきらめた」だったな~。


今日のnoteをなんか良い形に納める気が湧かないからこのままにしよう。

いいことありますように!