モノ側の感情
昔から、つい、マイノリティ側に入る。
マジョリティでは自分の成果も見えず、自分がイマイチ掴めなくなるのだ。
今日はやっとこさのオフ。
どうも体中に力が入らない。つい遅くまで布団にいた。電話を布団で寝そべりながらかけた。起きられなかった、起きたくなかった。
なんでこんなにつかれてんだろーね、とフリースペースで息をついた時に思ったことは、「私モノの立場で考えてるんじゃなかろうか」という如何にも理由らしからぬ理由だった。
お腹いっぱいだけど食べられないときのご飯。
今、私が食べないと捨てられてしまうから、食べるか、とか。
割り箸。
一回で捨てる人が多いけど、持って帰って洗って使えるまで使ったろう、とか。
あと、洗い物。
今洗わないと、あとで使えねえから洗わなきゃ、みたいな。
それぞれ、必要なことではある。
ただ、自分の「気持ちいい」を理性で抑えこんで行動するのは疲れることらしい。
いちいち考えずに動けるようになるのがトレーニングなら、今いちいち考えて動いてることにも意味があるかな。
でも身の回りの状況なんてつねに変わっている。
覚えたこともいつかは使わなくなるし、他に覚える必要が出てくるし。そんなもんだよなあ。
だから、生きていることを感じることができるのかなあ。
うーん最後の締めは若干あやしいけど、もう少し楽に生きてみたいとも思った。
いいことありますように!