最近

39℃の熱があると文字通り寝込むことしかできない。ただひたすらカネコアヤノの「わたしたちへ」を繰り返し再生しては無理やり目を瞑ってやり過ごしていた。部屋の片隅でくすぶる熱を抱えながら、変わりたい、変われない、変わりたい、変われないを反芻しながら息継ぎのように浅い眠りから何度も覚める。
いつも目が覚めた直後には鮮明に夢を覚えているのにすぐに忘れてしまうのだから次こそは書き留めておこうと思うのに、わたしはいつもその思いつきごと夢と一緒に忘れてしまう。久々に日記をつけ始めてみたら1日のことだけで3ページも埋まってしまって、それからなんとなく毎日3ページくらいは書かなくちゃいけないような気がしてしまって、そのへんなこだわりのせいで苦しくなって次第にまた書けなくなってしまった。言葉を詰まらせてしまうことがくるしい。返信できずに溜めてしまったメッセージの表示がくるしい。本当はちゃんとこなしたいのに身体が追いつけなくなってしまうことがくるしい。期待されることがこわいし見捨てられることがこわい。誰のことも失望させたくない。失望させたくないから期待しないでほしいと言いたくなる。寄りかかることがこわい、愛ゆえに。 誰への?
相手を想う気持ちが本当はすべてエゴに過ぎないんじゃないかと思うとき、愛すとか愛されるとか、今のわたしには何も分からないと思った。好きや嫌いを身勝手にぶつけることがこわい。わたしはずっと何かに怯えていて、近頃はもう文章も書けなくなってしまっていた。だけど休むこと、手を止めることも時間に置いていかれる気がしてすごくこわくて、それなのに手も足もすくむから、もうどうしようもなかった。わたしを責め立てるわたしと、どうしようもなくそこで立ちすくむわたしの狭間でこぼれる涙をわたしは掬うこともできず、ただ時が経つのを待つしかなかったし、今でもずっと待ち続けている。
つらい時ほど逃れるように気づくとながく眠ってしまう。最近はずっと夢の中でしか会えない人に早く会いに行きたいとばかり思っていたけど、夢でしかあり得ないようなタイミングで突然うしろから声を掛けられた時、すこしだけたのしいなと思えたから。こわくても、なみだが止まらなくても、それでも生きてしまうのなら、そういう偶然のひとつひとつを運命だと決めつけながら手繰り寄せていったほうがきっといい。夜が明けることってぜんぜん希望じゃないけど、ひかりを浴びずにいるのはもっとよくない。それでくるしくなることもあるけれど、射されまくって傷だらけになっていつか乱反射でかがやけるかもって、そう言い聞かせると心の裾がすこしだけピンと張る、気がしている。
いつだって気がするだけ、その予感だけが頼りで、結局誰よりも期待しているのは自分自身だと気づいた朝の匂いにはまだ風邪の鈍さが残っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?