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人を変えるのは人。いくつになっても人は変われる

こんにちは。筒井永英(つつい・のりえ)です。

これまでオンラインシェアオフィスの初期メンバーが自己紹介してきました。

みんな経歴も、いまの仕事も、住んでいる場所も、年齢も違います。

人とつながることで未来を拓いていきたい。

その思いは共通しているんだな、と感じました。私もその一人です。

10年間で3回転職した理由を考えてみる

私は85年生まれの横浜出身のミレニアル世代です。小学生の子どもが2人いて、いまは熊本県の天草市に住んでいます。

夫は16歳年上の農業従事者。農家ではありません。夫婦それぞれ別の仕事を持っていて、私はライターや編集の仕事をしています。

2014年に長男が生まれたのをきっかけに、東京出身の夫とともに関東を離れました。

みかんファーマー嫁として収穫の手伝いやみかんを使ったお菓子を作りネットショップで売るのは、冬の間だけ。

ライターをはじめたのは天草に移住してからで、最近は主に企業の広報のお手伝いやビジネス系コラムを書いています。ざっと経歴をお伝えすると、こんな感じ。

半導体の特許翻訳者(インハウス)→国家公務員→保険の法人営業→編集ライター/みかんファーマー嫁

ぱっと見、意味不明ですよね。なぜこんな経歴になったのか。あらためて考えてみました。

思えば、ずっと受け身で生きてきた

子どもの頃から独立心の強かった私は、物心ついた頃から「どうすれば食いっぱぐれないか」を考えてきました。

そのための解決法が「堅い仕事に就く」ことだと思いました。

学生時代は親や先生に褒められることを、社会人になったら組織の一員として認められることを第一目標に、コツコツ・真面目に頑張ってきたわけです。

努力すれば、できないことなんてないんじゃないか。

その考えが一変したのは、2011年の東日本大震災です。

当時、私は国交省の職員でした。もちろん当日は自宅に帰れませんでしたが、それ以上にショックだったことが3つあります。

1つは津波に家や車が巻き込まれていく映像。

自分ではどうしようもないことが起こる恐怖を感じました。いま、死んでも私は自分の人生を生ききったと思えるだろうか。答えはノーでした。

2つ目は震災後に店頭から食料や生活用品が消えたこと。

3つ目は職場から職員の安全確保や勤務体制について方針が示されなかったこと。

いざとなったとき、頼れるのは自分しかいないと感じました。物流がストップすれば生活に必要なものは手に入らなくなります。そんなとき堅い仕事に就いていることは、意味を持ちません。

被害がそれほどでないのにそんな状況なら、直下型地震が起きたらどうなるでしょうか。

「大きなものに寄れば安心」ではなく「自分の身は自分で守らなくては」と思いました。東日本大震災は、私にとって生き方・働き方を変えるターニングポイントだったのです。

人間関係は選べる。そう思えたのは人だった

ほんの少し前まで、「人間関係は選べない」と思っていた私。環境にどう自分をアジャストするか。そんなことばかり考えていました。

組織を離れてからの私は、自分のことだけで精一杯の日々を過ごしてきました。

思えば組織にいたときも、「選べない」とか「〜してくれない」など、誰かに何かをしてもらうことばかり考えていたように思います。

でも、営業の仕事を経てライターとなりさまざまな方とお話しする中で、ふと思ったんです。この先もずっとその調子で、おもしろいの?

「おもしろいことがない」と感じるのは、受け身で生きているからです。

ひとりでできることが、自分の想像の域を出ることはありません。

私も誰かの力になれたら、うれしい。人と関わることで、思ってもみなかった場所に行ってみたい。

そう考えるようになりました。

ただし、誰でもいいわけではありません。なんだか、それ「おもしろそう」と思う人とつながりたいですね。

いまインターネットは暮らしの一部です。いい時代に私たちは生きています。場所にしばられる必要性が減っているからです。

会社や地域など「そこにいるから、仲良くしなくちゃ」というただの義務感ではない関係。そう思える人と、一緒に新しいものを生み出すことができたら、最高におもしろいですよね。

人とつながること以上に心強いことはありません。それだけで「明日も、きっとおもしろい」と思える毎日になります。

私を変えたのは、人との出会いでした

そんな人と出会いは、きっと何気ない会話から。

だから、はじめませんか。2Gatherでお会いしましょう。


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