「おちてよ、ケンさん」をきちんと読んでほしい


僕が好きな漫画家さんに鳥トマトさんという方がいて、その先生の新作が公表されたものの、作品のなかのトランスヘイト言説がかなり批判されて炎上している模様です。それにかんする雑感を以下に書きます。なお、鳥トマトさんは今までトランスの主人公をずっと描いてきたフェミニストの作家で、過去作は差別を正面から扱ってきたものばかりです。

【雑感】

まず、作品を読んでもらえればわかるんですが、なんやかんやあって洗脳されたミソジニー男性のケンさんは女性の特権を得ようと女性装をして出社します。そこにおいて「さっき女子トイレ入ってたんだけど...」と女性社員が噂をするシーンが「トランスヘイトを助長しているのではないか?」とツイッター上で問題になって炎上している状況です。なかでも「注意書きが必要」という話まで持ち上がっています。正直、一面的な見方で叩かれすぎです。理由は以下です。

まず僕の読んだところ、というか話の文脈を追ったところ、ケンさんは決してトランス当事者ではないですよね?(もちろん「洗脳」をどう捉えるかとか、誰がトランス当事者かを判断する審級をもっていること自体が問題含みではないか、という問題もありますが。)。少なくともプロット追う限り、ケンさんは企業社会のマッチョ文化を徹底的に内面化していて、女性やLGBTQ当事者を見下しています。彼が女性装を行うのは決して自身のアイデンティティの問題ではなく、女性が享受していると思われる「特権」を自身も得ようとしているからです(もちろん実際にはそのような特権は存在しません)。ここで重要なのが、現実のトランス当事者は「特権」を得るという利益目的で当事者になるわけでは決っしてないですし、また、現実に男性が女性の「特権」を得るために女性になるケースは全くありえません。なぜなら男性は、女性になることを裏では男性の持っている特権を失うことを意味していると理解しているからです。その点、男性のもつ特権から降りずに(作中、女性社員が辞職した一方でケンさんは会社を解雇されていない)、女性の「特権」を得るためだけに女性装をするケンさんは非常に歪なキャラクターです。こうした点から普通の読者であれば、ケンさんが一般的なトランス当事者でないことは理解できるでしょう。ゆえに、ケンさんに浴びせられた言説はたしかにトランス排除の言説であり、トランス排除言説を再生産しているとも言えますが、一方でケンさんがトランス当事者かというと明らかにそうではないわけです。

おそらくここが議論すべき点なのですが、ケンさんに向けられた言葉がトランス排除言説ではあるのですが、ケンさん自身が明らかにトランス当事者ではない場合、そのトランス排除言説はステレオタイプを再生産することにつながるのでしょうか?僕はそうは思いません。ケンさんが元々モラハラ気質で企業社会のミソジニーを内面化した人間が女性装をするから歪なのであって、それが一般的なトランス当事者にもあてはまると考えるほど読者は愚かではないでしょう。この作品を読んで改めて読者が歪だと思うのは、日本の企業社会のマッチョ文化、ミソジニー 、性的マイノリティ排除でしょう。

これは稀有な読み切り漫画なので、もちろん読み方によっては注意書きも必要かもしれませんが、トランスヘイトを取り出して叩くだけでなく、もっと作品全体の文脈を抑えた上で読んでいただければ持つ感想も変わると思います。というか、日本の出版文化の特徴としてあまりSNSでこの作品を叩きすぎると、日本の社会問題を描く作家が減っていく気がしていてその方が怖いです。やはりこの作品で受け取るべきメッセージは日本の企業社会のマッチョ文化、ミソジニー 、性的マイノリティ排除とそれを内面化したかわいそうな人々でしょう。また過去作の「破戒!令和因習村」「アッコちゃんは世界一」を読んでもらえればかなり作品に対して持つ印象も変わるのではないでしょうか。

https://shonenjumpplus.com/episode/316190246926677072

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